ときには孤独
最近大変なスランプに陥っています。
そして、つちや温水プールの日記を読んでいると私の頭の中で考えていることと同じ悩みについて書いてあった。びっくり。文章にするっていいなと思ったのでこのnoteを書く。
過去の元気ではつらつとした自分だったら上手くいってた人間関係がことごとく上手く行かなくなった。なぜだろうか。これは特定の誰かとのことを思い浮かべているのではなく広く捉えてこう考えています。
元気な時に会っていた人と久しぶりの再会をするとからぶってしまい、そんな自分はつまらないと思われているんだろうな、過去の私と比べて嫌な人間に見られているんだろうなとよく自己卑下している。
2023年は暗く汚く荒んだ1年だった。
病気で行動が荒れてたくさん死のうとしていたら入院することになった。この頃のことはほとんどの人に話すことができない内容で、トラウマとして脳内に残っている。
躁鬱の症状のなかにはリスクの高いビジネスを勢いで始めたり、無意味にギャンブルや数十数百万の買い物をして借金を抱える、といったものがある。病気じゃない人からしたら想像できる範疇を越えた現実味のない話だろうけど、病気はおそろしい。私の場合はやってはいけないと頭ではわかっているのに、身体が止まらなかった。取り戻しが効かないケースもあり、私はそれだと思っている。
唯一書けることといえば、終電がなくなった後まで飲んだ後、ふいに死にたくなって、いろんな雑居ビルの最上階まで上がって立ち入れる屋上を探していたこと。もちろん過去同じことを考えて鍵をこじ開けたりした人たちの前例を踏まえてすべての屋上は鍵がかかって、小細工では開けられないようになっているので入ることはなかった。あのときの音、街のにおい、うるさい光、風景。嫌というほど頭にこびりついている。
本当はこんな自分も外に隠したくないけれどたぶん一生できない。この話をすることは、腐った食べ物を他人の前に差し出すようなものだから。聞いてくれた人が吐き気を催す姿が目に浮かぶから。汚い、とにかく汚いの。
入院前の自分は腐っていて捨てたいけれど、記憶はなかなか捨てることができない。記憶は捨てるものではなく、時間をかけて忘れていくもの。なんでも一生懸命に努力したらすぐに解決できる、なんてことはないんだな。
病気は孤独。同じ病気でも十人十色。百人百色。悩みに共感し合い励まし合える人が私は正直いない。学校や職場では比較的に取り組んでいるものが似ているので仲間を見つけやすいけれど、治療(特に精神の)は病気の様子が多様なので仲間をみつけることは少し難しい。
なぜ去年のことを書いたかというと、この経験を私なりに解釈して乗り越えられたとき、それは自分を受け入れて周りとまっすぐに向き合えて、冒頭に書いた悩みがほどける気がするから。自分を優しくできて、はじめて他者に優しくすることができる。人間関係の問題は紐解くと個人に行き着く。そんな感じの話。
たぶん一人じゃないんだと思う。人はひとりでは生きていけない、という言葉を裏返すと自分ひとりしかいないはあり得ないことだから。でも一人の道を進んで向き合わなきゃいけないこともある。それは孤独を選ぶことなんだ。物理的に一人を選ぶというより、自分のこころのなかで自分と戦えるのは基本的に自分だけということ。
何度も挫けそうで鬱が戻りそうで怖いけれど、私はとにかくこの経験と悩みに向き合って前を向いていたい。顔は上げていたい。たぶんどうにか負けずにいけちゃうと思う。
私の口癖は、なるようになる、だ。
終わり!