
ロンリーナイトと誤解
こんばんは
最近は寒すぎてロン毛である事に感謝しているタキです。
髪の毛って保温性すごいんですね。多分ヒートテックくらいあったかいです。というかヒートテックの素材に使われてる可能性ある。
さて、今まで毎月15日に更新してきました、プランプラムnoteでしたが、ラストワンマンまで残り2週間となりましたので最後に各曲の紹介をしていこうかと思っております。
12/29までに全曲書き切れるのか!?
と早くも怯えております。
ただね、普通に歌詞だけ書いてもおもしろくないかなと思いまして、その歌で個人的に思う事を徒然とよしなし事でもそこはかとなく書きつくっていこうかと思います。ちなみに曲の紹介は制作順で紹介していこうと思っています~
で初回は
・ロンリーナイトの制作秘話
・誤解について
誤解ってなんだよってなるんですけど、とりあえずロンリーナイトの話からしましょう。
「ロンリーナイト」
♩=121
会いたい気持ちが 頬を濡らしたって
時間は縮まらないけど
一人の夜が 君を焦がしたって
夜が明けるわけじゃない
いいことばかり 続くわけじゃなくて
たまには休憩も
悲しい夜が 君を壊したって
僕が側にいるよ
Lonely night 0時過ぎる頃
飛び込んだチャコールの中で
Lonely night 退屈な今日を
君で埋め尽くしたいよ
やることなすこと うまくいかなかったって
あんまり落ちこまないでよ
明日になれば もうどうにでもなくて
笑顔が戻るから
Lonely night 0時過ぎた海
コバルトに沈む前に
Lonely night 逢いたい 愛してよなんて
嘆いても独り
会いたい気持ちが 頬を濡らしたって
以上が歌詞です。
ロンリーナイトはプランプラムとして始めて作った曲ですね。
今となってはここから始まったんだな~と感慨深いですね。
テーマはハッピーな曲調に反して少しダークな歌詞。
こういった一見、相反するテーマはプランプラムとしては度々上がってきます。
いわゆる初期衝動でありプランプラムの軸として、意識しているテーマですね。
「一回初期に戻ろう」みたいな時によく出てくるテーマです。
で、曲作りあるあるだと思うんですけど、多分どこのバンドも全て作り方って決まってないんですね。
だから初めて組んだ時に作る流れがあるはずもないので超苦戦します。
プランプラムは現在、大谷か山本が原案を持ってきてみんなで編曲しながら形にしていく手段を取っています。
ですが1番最初にそんな流れが存在するわけでもなく、ましてや作曲に関しては全員がほぼ未経験の状態でした。
そんな中、大谷が悩み抜いたあげく「AメロBメロだけはできたんですが…」と原案を持ってきました。
サビはどうするんだ???と皆んなで沢山悩んだ結果…
山本に丸投げ
(当時1番年下)(メンバー全員先輩だから断れない)(猶予1週間)(家族を人質に取られている)
最悪の先輩ですね。
そうして大谷と山本が血の涙を飲みつくられたのがロンリーナイトって訳です。
ごめんね大谷とはるちゃん…
ですので、ロンリーナイトはプランプラム唯一の合作の原案から成り立っています。
こういうの知った上で歌詞とか見直すと面白いかもですね。
誤解について
さて、もう一つのお話「誤解」とは。
※これは僕の超偏った意見と思想のお話です。
また、文中で作詞作曲、原案者、編曲者のお話をしますが誰かを見下したり、蔑んだりする気持ちは一切ありません。何かを作ることのできる人は本当に凄い人だと思っていますし本気で尊敬しています。
ミュージシャンも芸人さんも曲・ネタを書かない方の人の事を「じゃない方」なんて呼んだりしますね。
そして、もちろん僕も原案を作れないという意味で「じゃない方」なんです。
では、音楽における「じゃない方」の人の役割って何でしょうか?
僕は、ただ単に「原案に沿って言われた通り演奏する事」ではないと思っています。
僕が曲作りで大切にしていることが
あえて誤解すること
です。
それは、どういう事か
例えば作品には「こんなイメージで〜」とか「こんなストーリーで〜」っていうのが必ずあると思います。
簡単に言うと、それを広げるという事です。
音楽を含む芸術と呼ばれるものは、人によって受け取り方が違っていて良いものだと思っています。(むしろ違っている事が良い事だと思います。)
特に抽象画や現代美術は余計に個人の解釈に依りますよね。
そんな中、言葉を使う芸術(詩や書など)はどうでしょうか。言葉や文字が日常にあるため理解がしやすく、良くも悪くも解釈が具体的に制約されてしまいます。
それは時に受け取り手の解釈の可能性を狭めてしまったり、作品自体の可能性を狭めてしまうことになります。
これってとても勿体無いことだと思うんです。発信する側がとても良いと思ってる作品でも共感されなかったり、受信する側が理解しようと思っていても理解しづらい状況になってしまうという事がおきるんですね。
やばいことになりました。胡散臭い論文みたいになってきた。
良くないぞ。見た目も相まって余計に良くないぞ。
まとめます。
その曲を聴いた時に人それぞれ色んな捉え方ができる・深く共感できるようになってたら良いよね〜
です。
これが実現する時に必要なのが「じゃない方」の人だと思っています。
なので僕はプランプラムに限らず、編曲の時には
こう言う意味にも取れる。こういった情景が浮かんだ。こういう解釈もできる。ってめっちゃ言います。
(これ結構恥ずかしいし、的外れすぎる発言を言った時もっと恥ずかしい)
でも、これをする事で原案者は取捨選択ができる訳ですね。
それは違う。それはアリかもね。それは新しいね。
見たいな感じで。
そうする事で、原案のイメージが余計固まったり、逆に広がったり作品として深く広くなるんだと思っています。
そこで、僕が注意していることは
・原案をめちゃくちゃリスペクトする(1番大切)
・原案をしっかり理解する。(個人的解釈ではなく、原案者のイメージを理解する)
・恥ずかしがらずに個人的解釈をしっかり伝える(絶対に押し付けない)
・否定される事を恐れない(違うと言われたらすぐに引く)
です。
つまり良い「じゃない方」がいると
作曲者のイメージ
↓
「じゃない方」のイメージ・解釈
↓
受け取り手の解釈
と言った風に段階的になり、
より広く深い作品が出来上がると思っています。
ちなみにこれから2週間でお送りする曲紹介も原案者が解説するのではなく僕が解説するのもこう言った理由からなんですね〜
と言う事で、1回目の曲紹介と、なぜ僕が書くかの理由を長々と書いてみたんですけども
2回目以降はもっとライトにしたいと思っています。(今回の半分以下くらい)
毎回このボリュームで書いてたら、12/29のラストライブまでに皆んなの目が悪くなっちゃうからね。
このnote原稿用紙12枚分らしいよ。流石にきもいね。
ここまで読んでくれた方、こんな偏り駄文読んでくださってありがとうございます。
ではまた近いうちに書きます。
次回「三十一と引き算」