「モノ」と「ヒト」の間
いきなりですが告知です。
闇の王展2024/沼の王展2024
2024.8.22〜8.25
galleryルデコ(渋谷)
今年も出ます。出ます。
いさまる大先生による過去一の肌色!?にして、
遂に成就した!?展示をさせていただきます。
僕はいつも通りで世に憚る目線を送ります👁️💞ウフ
今年は同時開催の沼の王展も出展しておりますので、
どちらの展示もお楽しみいただけると嬉しいです。
尚、また小競り合いレベルの意見の相違により、
闇と沼の展示の発案はそれぞれとなっております。
ワタクシの発案は沼の方の展示です。
永遠のテーマ「モノ」を「ヒト」にする遊び
去年の展示の時も同じようなことを申してましたが、ワタクシ個人の写真のテーマ、活動の理由の一つが、これです。
「着ぐるみ」は「人物ポートレート」になるのか?
ここを突き詰めて尖らせるとそもそも「モノ」である着ぐるみを動かして、それが「ヒト」としての解釈、認知を得られるのかと言うことです。
話題の人のご感想を揚げ足取るなら、程度の低いコスプレ馬鹿写真なんでしょうが、、、僕を撮ってみればその解釈をぶっ壊してやるから対戦よろ!なんて思います👁️ヌヌヌヌヌン
ぷるぷるさんと言うヒトツメの(自称)超絶美少女は、本人自身の出自そのものは「着ぐるみ」ですが、ワタクシとの関係性は憑依する何かとのかくれんぼで、その何かとの戯れです。
ここで言う戯れは祭事や宗教行事のハレノヒの舞や演舞と同義です。
原点回帰で「モノ」にしてしまっても「ヒト」が成立するのか?
今回の主題はこちらです。限りなく「モノ」へ戻す。
何かの器としての「着ぐるみ」、そこにある何かは物質として見えるものにしたらどうなるか?
そう言う試みです。
ジャパニーズホラー
全く水を使っていないですが、湿気を感じる作品がやりたいなと思っており、こうなりました。
水はなくても水がなければ保たれないもの、維持できないもの。
水の存在は「モノ」よりも「ヒト」の方が密接です。
ギリギリの「ヒト」の部分を水、湿気に託しています。
作中には全く存在していない水ですが、それそのものは神聖なもの≒何か怖いもの(畏敬の念)としての両面の解釈も含んでおり、そこからジャパニーズホラーだなぁと感じでいただけると、そう言えばアイツ(ヒトツメ)ってヒュードロドロっと出てくる妖怪によく似てるんだよなぁとか思っていただいたら、大体合っております。僕は妖怪じゃないけど👁️チナウ
混沌と秩序、愛(エロス)と純潔
作中に使用している植物たちの役割です。割とそのまんまです。
混沌が整えられていく様か、純潔が次第にエロスへと変わる様か、それは見る人によって変わると思っています。
この回答はどちらでも合っていてどちらでも間違っています。答えはないのです。
創造と破壊
組み立てているのか、壊しているのか、これも人によって変わると思っています。
ワタクシとしては、概念崩壊と再構築として本作をやりたかったので、どちらとして見ていただいても正解だなと思っております。
双方の見方次第で、相反する感想が生まれるのではと思っています。
闇より沼のが闇じゃない?
この感想、複数人から頂戴してますがw
あの闇はいさまる君にしかやれない、我々に分かり得る世界線、一度に理解できる情報量ではない闇だと思うので、あれは闇ですよ。
彼の闇の表現が複雑な分、ワタクシのシンプルさが闇に感じるのかなー?なんて思います。
取り敢えず闇の王展としては我々は解散
この後で何かの展示で組むことはあると思っていますが、今回の展示にて闇の王展でのP&Iのクレイジーコンビはひとまず解散です。
またすぐに会えると思っているので、もう見れないの!?なんてことは思わなくていいと思います。
また会おうな!
さて、、、ネタバレしようか👁️ルン
とかドヤるけど一晩で書いたひらめきメモ。
アンチドラマチックな写真
写真自体にドラマチックなストーリー等はない。
受け手が勝手に想像したストーリーが正解である。
動的な無機物存在P
認識が一定以上に有機物化している為、無機物化、元に戻す試み
Pはモノなのか、ヒトなのか?限りなくモノに寄せることで再検討している
立方体にする理由
アイコン化、汎用化、シンプル化、ミニマム化、記号化
→個性の消失
ミニマリズムとマキシマリズム
一つ一つは記号化されたミニマムな存在
集合となることで情報を統合拡充しマキシマムな存在に変容する
単写真と組写真
本作は組まれていない組写真であり、複数枚ある単写真である
バラバラにしてしまうと組まなければ全容は分からず、組んで仕舞えば一つの写真である
(リアポの超肖像画も同じ理論だが、アプローチ方法が異なる)
群を個にするのではなく、個を群にしている
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