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去年の夏のこと

個人的に書き残していた日記を、加筆修正して再掲してみます。

瀬戸内海の島、大島。ハンセン病の療養施設のある島へ、初めて行ってきた。

初めてと言っても、今まで縁もゆかりもなかったわけではない。
幼少期によく遊んでくれていた祖母の従姉妹が、長い間そこで教員をしていた。当時はまだまだ偏見の残る時代。人事異動でも行きたがらない人が多かった中で、彼女は「居心地がいいから、継続を希望し続けていた。皆が行きたがらないおかげで10年くらい居られた。」と言っていた。

その話を印象深く覚えていたし、小学校や中学校の道徳教育でも大島青松園について習ったりした。とんでもない歴史だと子どもながらに思っていた。

島やハンセン病の歴史を知りたい気持ちと、親戚のおばあちゃんの過ごした土地を見てみたいという思いがありながらも、特にきっかけがなかったのだけれど、大人になってからの友人が、自分は大島で育ったんだ、と教えてくれた。とても不思議な巡り合わせだな、と、その親戚の話をしたりした。

そんな流れもあってかその友人が島の夏祭りに誘ってくれて、思いがけず大島へ訪れるきっかけを与えてくれた。
港から船で約20分。近くて遠いその島へ初めて足を踏み入れた。

まずは納骨堂に手を合わせに行った。
亡くなった順に並べられた沢山の入所者さんたちの骨壷。最後に少し残されたスペースは、今入所している数十名ほどの方たちが、やがて入るところ。その「席」が予め用意されている光景に、なんとも言えない気持ちになった。

火葬場の横を通り、「風の舞」というモニュメントに案内してもらった。その島へ入ると二度と、骨になってもなお島を出ることがゆるされなかった入所者たちの骨壷に入り切らないお骨を納め、風に乗ってそれぞれの故郷へ帰れるようにと、見晴らしの良い場所に建てられたモニュメント。

誤った知識と、大きな偏見に基づく差別の恐ろしさを目の当たりにした。日本の歴史からすればたったこの間、ほんの30年ほど前まで、間違った政策は改まることはなかったという。あまりにも長く恐ろしい歴史だと思った。

私は瀬戸内海を眺めるのが好きだ。すぐそこに島々や向こう側の本州が見渡せるほど小さな、とても穏やかな海を見て、いつも心安らかな気持ちになっていた。でも、この島から同じ海を眺めた入所者たちは、どんな気持ちだったのだろう。すぐそこに見える、生まれ育ち暮らした場所へは、本当の意味で二度と帰れず、家族や友人にも会えない。きっとものすごく遠い距離に感じたことだろう。私のように穏やかな気持ちでその景色を見られることなんてきっとなかったんだろう。
悲しみ、憤り、諦念……、計り知れない様々な感情に想いを馳せてしまう景色だった。ナチスによるユダヤ人の迫害を思い起こされるような瞬間すらあった。

そんな歴史への複雑な思いと同時に、すごく良い場所だな、とも思った。
穏やかでゆっくりと時の流れているような雰囲気。瀬戸内の田舎独特の雰囲気は、私の育った山にも少し似ていたし、私と同じ故郷で育った親戚のおばあちゃんが「居心地がよくて」と言っていた気持ちも本当によくわかった。そんな土地で幼少期を過した友人となんとなく波長が合うのも、納得してしまった。

ただ、本当に申し訳ないことに熱中症でダウンしてしまい、友人のご実家に随分お世話になってしまった。せっかく誘ってもらったのに迷惑を掛けてしまって申し訳なく思うし、何より島の空気にもっと触れたくなったので、必ずまた元気に訪れたい。

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