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What a wonderful world?

父が亡くなった日の前後の事はよく覚えていない。

少なくとも1年以上、家の中の雰囲気は最悪で、父は口を開けば文句をいい、母は口を開けば愚痴を言っていた。父が外出した後に母から電話がかかってきて、仕事中も席を外して何十分も愚痴に付き合ったなぁ。

父は自宅から車で小1時間程離れたところに工場を構えていた。私が物心ついたころからほぼ会社に泊まり込んで仕事をしており、母は何日分ものお弁当を作って渡していた。帰ってくるのは週に2回程度、それもいつも夜中近く。それでも会社に泊まる日には夜必ず母に電話をしてきていたけれど、甘い雰囲気は全くなく、私がたまに電話を取ってもそそくさと母に電話を替わっていたし、父はどれだけ淋しかっただろうと今更ながら思う。

父が帰ってこないからなのか、夫婦仲が良くないから父が泊まり込んで仕事をするようになったのか、その辺りは分からないけれど、気が付いた時には家族の仲も随分醒めていた。

いよいよ会社が傾き始め、工場を畳み事務所を自宅に移してからは、急に距離感も近くなり、一触即発の雰囲気だった。残業して家に帰ると夫婦喧嘩が始まっており、夜中まで付き合わされ、睡眠2時間で出勤なんてこともあったっけ。

とても外出できるような体調ではなかった父が、銀行への月末の返済のため家を出たところで倒れた。行くなと言う家族の制止を振り切って、家を出たところだった。年末近い寒い朝だった。

出掛ける仕度をしながら、自分を鼓舞していた父の姿を今も覚えている。

自宅前の路上で倒れたが、親切な通行人の方が何人も集まってくれて心臓マッサージを繰り返ししてくれた。救急車は中々来ず、救急の電話の方はマッサージをし続けてと言うばかりで苛立ったことを良く覚えている。結局、救急車の他に消防車まで来たっけ。

救急車に乗せられてからも、今度は受け入れてくれる病院を見つけるまでに30分くらいかかったか。救急車には私が乗っていくことになり、用意をしていたら、寒いからかけてあげてと母から毛布を渡されたんだった。
ちょっとズレてる母でした。でも、あの時の母の気持ちを考えると、今でも胸が痛くなる。

救急車の助手席から見た景色を、まだ覚えています。病院に到着し、母から渡された毛布と不安な気持ちを抱えて座っていると、姉に連れられてやってきた母に「誰のせいでもないのよ。誰も悪くないんだから。」と言われたことも。

ヒトは、裸で産まれて裸で死んでいくんだ。

と父はよく言っていた。
集中治療室だか手術室だかから出てきた父の意識はなく、そのまま病室に移された。みんなで、ただただ父に声をかけ、泣いていた。

その日父が着ていた洋服がビリビリに切り刻まれて、透明なビニール袋にゴミみたいに入れられて戻ってきたのはいつだったか。父が気に入って着ていたウールのシャツも、コール天のパンツもなにもかもビリビリだった。

あまりにも悲しかった。
返してくれなくていいのに。父の洋服はゴミじゃない。

一度家に帰ったのだったか。何日経ったのか、どんなふうにご飯を食べて寝ていたのか、全く覚えていない。

ただ、時は来て、静かな気持ちで、ドラマみたいに医者が「〇時〇分ご臨終です」と言うのを聞いていた。

その日の夜だったか、ゴハンの時に付けていたテレビから「What a wonderful world」が流れてきた。どこかの住宅メーカーがCMに使っていたものだった。

なにが「なんて素晴らしい世界」だ。
素晴らしいわけがないじゃないか。
お父さんが死んじゃったんだよ。

と心の中で悪態をついていた。

私は父と喧嘩別れをしてしまった。
あの頃ずっと、随分ひどい態度を取っていた。きちんと顔を見て話すこともなかったように思う。



中学から私立に通ったので地元にほとんど友達はいないのですが、両親共に他界した後で、不思議な縁から地元に知り合いができました。最初に知り合った人が音楽業界で仕事をしていたことがあるデザイナーで、地元のミュージシャンの知り合いも多く、その縁で私も聴くようになったのが高橋史明さん。Barなどでの弾き語りライブに通う内に、彼が歌う日本語詞の「What a wonderful world」に出逢いました。(https://www.youtube.com/watch?v=aYbOqgOifdg)

高橋さんの歌声は優しい。彼のミュージシャン仲間が作った日本語の歌詞も美しくて、聴いていると夏の夕暮れの空が浮かんでくる。そして、母と同じように 誰もせいでもないよ と言ってくれているように感じて、感傷的な気持ちになります。

そう。世界は美しいし、父の死は多分誰のせいでもない。

もう父の死の前後の事を生々しく思い出したりはしないものの、聴くたびに父の事とあの時の気持ちを思い出します。もう十分に大人だったはずなのに、何もできなかった。父の力にはなれませんでした。

もしかすると自分の都合がいいように記憶が塗り替わっているかもしれないけれど、Louis Armstrongのしゃがれ声と、あのCMが流れていたリビングの光景は、塗り替えようもなく私の心に今も残ってる。

あれだけ喧嘩を繰り返していた母は、父の命日のちょうど一年後に亡くなりました。結局愛かよ、って話はまたいつか書こうかな。


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