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お金の話。

出勤の仕度をしながら時計代わりにテレビをつけている。
ながらで見ている朝ドラだけど、なんとなくストーリーは頭に入ってくる。その日は、また借金をしてしまったにぃにぃに、自分のお店を持つために貯めていたお金を渡した妹に、姉夫婦がお金を援助するというところだった。

姉が妹に言う。
私があなたでも迷わずお金を出したと思う。

そうなのだ。家族のためにお金を出すことは、美談というか当然のこととして受け止めている人が多いのではないだろうか。払う方の無理がない範囲で援助して、問題が解決するのなら美談で終わるのだろうけれど、実際にはそういうことは少ないのじゃないだろうか。

父の会社が大きな負債を抱えることになったのは、下請け企業から脱しようと、2社の大会社との商品開発に加わったことからだった。世の中的に広く知られた2社だったけれど、そのうちの1社が商品開発からドロップして企画はお蔵入り。開発費用が丸々会社の負債になってしまった。多分、私が小学校高学年か中学に入学する頃だったと思う。

会社を経営するのに銀行から金を借りるのは普通の事なんだ。
と父はよく言っていた。確かにそれは事実だろう。だけど、その時の借金は開発費用や先行投資ではなく、運転資金だ。中小企業にとっては大き過ぎる負債だった。

仕事をしていく中で返済可能だと踏んでいたと思う。
でも、実際には叶わなかった。理由を探せばいくらでも見つけられる。
時代もある。他人に仕事を任せられない父の気質もある。父は、会社が傾き始めてからも従業員のリストラはせず、なんとか雇用を守ろうとひとりで働いていた。残念ながらそのことも、徐々にボディーブローのように会社の体力を奪っていくことになったのだろう。驚くくらいの額の生命保険もかけていた。最後は、生命保険でチャラにすればいいとも考えていたのだ。

銀行への返済に加え、保険料の支払いも苦しい時期が続いていた。生命保険を担保に保険会社からもお金を借りたりした。返済日、保険料の支払い日近くのヒリヒリした日々を思い出す。

いよいよ策も尽き始め、保険料が支払えないからと父が自死を試みたこともある。俺が死ぬから、その保険料で全部借金をチャラにしろと。あまりに生々しくて文字にするのは憚られるが、それを止められない自分にも、お金を工面できない自分にも絶望する出来事だった。
父は思いとどまってくれたけれど、あの時の父の気持ちはどんなだったのか、どんなことを考えていたのかは、今でも分からない。

その頃勤めていた会社には財形貯蓄という制度があり、給料/ボーナスからの天引きで金利を優遇された貯金をすることができた。きちんとした目的はなかったけれど、制度を利用してある程度の貯蓄ができていた。
その貯金を使わせて欲しい、と父から言われた時、お金を渡すのは子供の役割・義務だと思って特別疑問も抱かず躊躇いもしなかったが、似たような境遇の同僚に話したら、猛烈に止められた。
自分のために、きちんと取っておかないとダメだよ、と。
彼女も父親が事業に失敗して、自宅を売却した過去を持っていた。

今なら、彼女がどれだけまともな事を言ってくれたか分かる。
私は父にお金を渡し、父は他にも親類縁者からお金を借りて返済に充てていたけれど、結局借金は返せず、当然ながら私の手元にもお金は戻ってこなかった。それでも私は、父が亡くなった後も子供として親類縁者に父が借りたお金を返さなければいけないんじゃないか、と考えていた。返せないのなら、日陰でひっそり静かに存在を隠して生きていかなければいけない、と。

何があっても自宅は売却しない、と父が最後まで守った実家を売却した時、父に対する申し訳ない気持ちを背負って生きていくんだと思ったけれど、同時に存在を隠すことが出来たようで少しホッとした事を覚えている。


暗い話ばかり書くのはしんどいから、次回はちょっと明るい話を書こうかな。

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