なんで?と聞かれてもなんだけど、関わることに「死」はなにかしらあって。
時々、ここを見る。
遺体感染管理士認定資格養成講座
父が死んだ時、鼻から体液が出てきてしまって、今母が病院や葬儀屋にキレ気味に電話して(で、今母は夜ぐーすか寝て、わしが一晩中寝ずに体液を拭っていて、翌日今母は親族が集まる尽くした未亡人となり)。
で、次の日、葬儀屋が手配した湯灌さんが来て前よりキレイにして行って。
その時と湯灌さんの所作がキレイで。
所作って言っても、遺体処理の作業はどうやら親族には見せられる作業ではないらしく、追い出されてて、挨拶とか、父への態度(合掌とか、声掛けとかね)とかだけなんだけど、なんか、優雅。
「お能」的な(語彙力)。
そろりそろり(は、元彌(は狂言(ごめんなさい)))。
それから、湯灌さんは学歴は特にいらない、とか、エンゼルメイクってのがあってね、ってのも知ったり。
おくりびとを観た、と、どやってきた人に「前から知ってたし」と、どやったり←
こないだも、某大学病院で、復元納棺師さんの講演があって、聴きに行きました(市民講座だったので入れてくれました)。
納棺師は納棺師の身体の触り方があって、
目を閉じさすには神経やらツボやらはもちろん効かないから、筋肉を温めて緩めれば、接着剤の出番はかなり無くせる(完全に無くせる、と言わないあたりもプロフェッショナルw)。
とかのフィジカルな技術とともに、
遺族の話を傾聴して、亡くなった方のどんな姿が見たいか、を推理する。
なんてことも言ってました(言ってくれないんだって、あんまりホントの希望を。メイクは遠回しに手伝わせることも、とかも言ってて「いーなー」なんてなり)。
確かに関わる事に「死」に関する事は多いかも。
なんで?
タブーにされてて、それに対する「なんで?」を強くしたいのかな?とか思ったりしています。