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言葉と傲慢と戯言

ツイートでは収まりきらなかった戯言

自分の事では滅多に後悔しない私だけど、
対人において
「何故あの時、こう言ってあげられなかったのだろう」
「何でこう言ってしまったのだろう、もっと違う事が表現したかった」
という後悔が後々も尾を引く事が多い。

でも、結局悔やんだところで
本当に言いたかった事は本人に伝わらないままだし、
そもそも、私のこのどうにもならない思いは本人へ届かない距離で勝手に高ぶっているだけなのだから
どうしたって自己満足でしかない。

人からもらう言葉はどこ吹く風のように流れていく事もあれば
案外なぜか耳に残って、その後の選択を変える事もある。

「こう言ってあげればよかった」なんていう後悔は自己満足な上、
自分の言葉が相手を変える事が出来たのだろうという傲慢の上に成り立っている。
自分が何を言ってもあまり変化はなかっただろうと思えば、こんな後悔は生まれないのだ。そう考えるとあさましい感情だ。

しかし、選択こそ変えられなくとも、
その時一瞬でも気を楽にさせる事ができたのかもしれない。
そう思うと、やはりぐるぐるしてしまう。

言葉は難しい、やっぱり

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