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社会実験という経済活動

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始めに

この記事はNetfixや読書を通して自分の知見、世の中の常識、移りゆくこれからの時代を反映させた私自身の所見として記述する。

かつては「遺書」というDVDから始まった。
自分の足跡を残すことでこれからの一歩を踏み出しやすくする装置を利用したことから端を発する。しかし、よくよく考えてみるとこの「遺書」に辿り着くまでの道筋を明確に説明できないでいる自分に気がついた。
意識する事しない事による人間の頭の使い方に焦点を当てた習慣について記述できるレベルにすることが自己成長の先にある他者貢献へとつながるある種のプロセスが見えてきた。このプロセスには欠かせない幾つかのマイルストーンが設定される。自分で築くこともできるし、他者との共同作業、体制によって作られることとも理解できる。

この項目では。「遺書」に至るまでの遍歴を簡単に説明して本題に進み結果としての他者貢献を実現するまでの道筋を計画したいと思う。
単純考えて時間が必要とされるとするか、計画があれば良いとするかは立場の違いによって明確になるはずだ。
言い換えてみれば視聴者としての限界と当事者としての有限性に明確な区別をつけることと区別がなくなっても進みゆくにはどうやっていけば良いのかという分別が時折必要となる。
私自身の経験で話すと、頭と体の使い方を明確にする事と自分と相手の区別を明確にすることで分別についてに敷居を設けた。このことは私自身を大いに苦しめた。頭を下げるだけでいいのならいくらでも下げるつもりだった時のことを思えば跨ぎたくない境界があることを意識するのはとてつもなく難しいことだった。死してなお、跨ぎたくない物事を考えるなどとは到底思いつかなかった。そこがスタートだった。
だからこそ、失敗はあり得ない。進みゆかない時間が延々と流れる「回路」の如く世界が広がるだけだったのだ。

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