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オペレーション ” KPI ” 報告
はじめに
最近流行りの経営指標を活用したいと半年ほど、自身の習慣改善と記録に役立つ行動記録と時間記録、及び感情記録をiPhoneウィジェットで実施した。
ヘッドには今週の報告になっているが、実際には時間記録から始め、自分の習慣を整えながら連想体系まで記録できたら面白くなると確信したのでここまで漕ぎ着けた。
大変だったのは、自分の思考と外からのアイデアや要望をより分けるのが困難を極めた。専門家でもより分ける必要が出始め、手抜きと自身の妥協が本当にアホかと思うほどの精度を要求された。しかし、習慣を変えるというのは自身の価値観まで手を入れる必要があるのは常識の範囲。妥協なき目標達成への道筋は誤魔化しは効かない。結果が全てを物語るからである。
と、言いつつも周囲に受け取りやすい情報発信を考えると人を選ぶのも事実。
基準高く生きる事と社会的な人柄や常識の範疇に収まるコミュニケーションも人として基本的な生活の一部。この矛盾にも似たバランス感覚を実現するだけで半年ほど費やす事となった。
” みんな頑張ってるの、基準が違うから訳がわからなことになるの! "
といったところで今回の報告を読み進めていただきたいと思う。
始まり、始まりー。
晴れ渡る空を待つように
題材は現実の情報全て。
自身のインプットが時間の隙間を縫い、新しい感覚を生むかもしれないという錯覚を維持できる仕組みはもうない。その程度には現実の世界を理解できてからがこの物語の始まりになる。
難しい事とは絡み合う人間関係と同じ。自分の生活がまとまりなく一貫したものだと、客観性もない視線がある一点に集まり出す時に効果を確認できる。
自分の習慣は日々の刻々と過ぎていく習慣の閃きから纏まりを持ち始め、記録により思考が行動に見える程度には時間と根気と観察が必要になるだろう。
過去の経験を懐かしむ気持ちは今の感情とは相容れない。
過去の実績はその時の環境が生み出した一種の軌跡に過ぎない。繰り返す材料は揃えども、練習不足は自身の言い訳と環境の充実には遠く及ばない。
しかしながら、過去の実績に応える自分の思考は確かに繰り返され、夢を見るよりも明確に障害を把握し、困難を避ける道筋を作り上げる。障害よりも問題となるのは閃く道筋に応える方法は資源が足りないという事。障害を超えるのには準備が足りない。問題を飛び越すには資源が足りない。この「矛盾」の話のように顔を背けたくなる状況下でも諦めないのは理由がある。道筋を残す事が足跡を探すよりも容易で確かな再現性を確認できるからだ。
現実での情報量の多さはまとまりの無さを引き起こす。しかし、記録を自身で残す事により、可視化される足跡が残される。繰り返す練習により、足跡は道筋になり、道筋に補強する道を作る事で人の流れができる。過去の偉人が残した実績を再現する体験が夢見る機会となる。
蜘蛛の巣を抜けても撃ち落とされる空の下
過去の栄光は直視しない光の塊と同じで、光は、光源か、反射か、実際には特定できないほどの眩しさであるほどに影は見えなくなり光の強さに引き寄せられる。時間の経過による観察が光源を特定する唯一の方法だとしたら、環境のスケールを落として再現する可能性が構築できる。
再現するのはこの過去の中で自身が実施すべきは繰り返される文言について、いい影響の言葉ほどその陰に隠れた障害は見分ける事が困難になる。その為、信じる力と疑う力を育てる必要がある。結果として、自身で足枷をはめて生きるように、しかし、夢につながる文言が真実味を帯びてくるのは足枷が重く強く変化するほどに、慣れと理解も容易く確かなよりわけを実現していく事と成長する。
息をひそめ、過去の体験を手放す準備を日々祈る。
息を荒げ、未来の希望に貪欲さが混じる。
横たえる体に自身の思考と行動の分別を行き渡らせる。
過去必要だった感情も今はもう必要ないと気がつくその時に過去の文言を思い出す。
ため息で眠りにつく、いく日もの夜が、眠れぬ時間を生み出し明るみ出す空を待ち望む。
ふと気づくその瞬間は、一種の傾向を帯びてくる。
かつては記録する事にだけ意味があった。反復する感情にサイクルが見えてくる。
自覚に至る瞬間に新しいきっかけのチャンスを埋め込む事が可能になる。そして、かつての文言を手放す自由すら獲得する。
その瞬間に迷いが生まれる。練習は信じる事と疑う事、時間があればどちらも可能だったのかどうかすら疑う瞬間に、同時に信じる方法も獲得していると理解している。その先にある期待は続けたもののみがわかる感覚。
実績に応える成果は、自分自身の目標に適う継続した行動の結果。
単純な目標ほど簡単に実現できる実感を得られる。
複雑な成果ほど、疑い、繰り返す期待ばかりを確認する。
ここでも一つの衝動が挟み込まれる。この成果が自分だけではなく、人にも提供できるのなら、自身の思考にどれほどの制限が課されるのだろうか。
思考を手放す瞬間を待ち望む果てない時間に、立ち上がる勇気を発揮する行動に、上達した習慣に憧れを重ねていく。
暗闇に瞬く星空に過去の夢を重ねた
思考の上でどれだけの感傷があるのか、自身の行動を繰り返し練習していく中で気がつく一種の連動した一連の思考。このことに気が付き、パフォーマンスを計測に移した。単純な”運動・栄養・休息”のプロセスに科学的なデータと比較して自身の行動を精査していく。それと同時にトップの世界にいる憧れと比較する自身の思考プロセスにも同じサイクルを適用させていく。単純に真似をするだけで効果は引き出せなかった。意味記憶と手繋ぎ記憶と環境と実現可能な設備に少しの違いがあった。
しかし、真似をする一連のサイクルに目を向けると別の視点が現れる。いくつものスポーツでも見えてくる一種の師弟関係、商品価値とそのサポート体制に、共通点が見えてくる。
自身の立場、役割に応じた共感が習慣の一連の連動に意味と手繋ぎ記憶の最適化が施される。
結果として現れるある種の一体感を伴った自己効用感に、再現を期待する感情が生まれてくる。
ここで、問題が生まれる。自身を観察対象とした時の相互関連性についての環境と対象者の相違点が明確になる。必要な事は、信じる事と疑う事。
自身でリードする部分と周囲の影響の成果とを見分ける客観性が必要になると考える様になった。
ここからが長い話にはなるが、端的に表現すると、パラメータ構築とデータ分析を実施できる環境作りに行きたかった。しかし、自身の勉強不足から経営とマーケティングの専門家に頼る事とした。
2〜3年以上の時を費やし、自身の習慣もすっかり崩れた頃に手に入れる事となったその方法は、単純に自身の生活を数値化して記録するためのロジックであった。
個人で実施していたものはコミュニケーション上では拙く、世間に出回っているテンプレートではスピーチの上手さで結果が出てしまう。個人的に習慣を深めていく信心深さと疑いの心を残したままで記録できる方法を発明したかった。現実では自身の無力感を認める事で完成に至る。
単純に練習を記録する事と汎化できる一般性、統合性が欲しかった。
さまざまなアプリがある中でも一貫して使い続ける事ができるインターフェースを持ちたかった。
実際はどうであろう。まだまだ完成の域には程遠い。しかし、この現実に目に見えないほどの一瞬の瞬きにも似た閃きは光の粒となり見えなくなっている。拾い集める閃きが自分の根源的な願望と重なる時に発揮される勇気の一つとなる。
以上が報告になる。
あとがき
企業という組織体、チームワークという有機体、一個人という一種の菌類、そんな例え方でこの現実が文明として作り上げられているとしたのなら、病気に感染するような熱病や、繰り返し世界全体に行き渡る一色の服装も、理解の範囲に収まる目的や因果があってこそ。
大袈裟に感じるのは自身の頭の中だけではない。練習して生み出される時間は一種の閃きを受け取るのと同じ感覚かもしれない。比較する為に信じる事と疑う事が両立する機能を確認する。結果は簡単に手短に伝えられるだけの事だったのだと思う。
参考資料
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