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何もなれないことは不幸ではない

2021年秋、ブリの好きなバンドが活動休止しました。休止理由は、「もう一度、自分自身と向き合う時間が欲しい。今は音楽に向き合えなくなった」とメンバーたちは語りました。「いつかは戻れるようにバンドを休止することになった」とメンバーは発表しましたが、現時点で活動再開は絶望的です。この発表はブリにとって、残念な気持ちになりました。感染症が流行してきてから、多くのバンドが活動休止、メンバー脱退、解散と、負の連鎖が起きています。経済的問題、士気の低下が、バンド活動を壊しました。この記事で書くバンドは、おそらく士気の低下で活動休止になったと思われます。

その好きなバンドは、Drop's(以下ドロップス)です。女性のみのメンバーで成り立っていました。ボーカリスト兼ギタリスト、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーの構成で、4人で活動していました。キーボードがいましたが、脱退しました。ジャズとギターロックとブルースの作風で奏でるバンドでした。2009年、メンバーは高校時代に軽音楽部にいた、音楽友達と共にバンド結成されました。ボーカリストを探していた時、クラスにいた同級生が歌が好きで、それがきっかけでボーカリストが加入して、バンド活動を本格的に始めました。2010年には、バンドコンテストで初めてのオリジナル曲を披露して、グランプリを獲得しました。2011年には高校3年生で、ロック系レーベルに誘われて、ドロップスはインディーズデビューを果たしました。

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2013年には、対バン、短めのワンマンツアーを行い続けて、ついにはメジャーデビューしました。デビュー初の作品はアルバムとして発売されました。その後も作品を発表していき、邦楽ロックファンの間では、「ジャズとギターロックが心地いい、歌声がすばらしい女性バンドだ」と評価が高まりました。大ヒットまでにいかなくても、それなりに知名度を広げました。2015年にはロックインジャパン、ライジングサンといった、国内最大規模のフェスへ参加しました。

2016年は、4枚目のアルバムを発売して、ツアーやイベント参加を行い、活動は順調でした。しかし、ここからドロップスは不安定なメンバーの状況になりました。ドラマーに身体の故障が起きて、脱退しました。翌年2017年には、新しいドラマーが加入しました。2018年には、キーボードが学業を理由に脱退しました。キーボードがいなくなったドロップスは、新体制になってから、アルバムを発売しました。しかし、ファンの間では、かつてのジャズやブルースのような雰囲気と、バンドの勢いが減っているようだと批判されました。ブリはライブの様子を見てきましたが、年配の観客が多く、バンドメンバーと同性代の若い観客が少なく見えました。メンバーはこの様子を見て、複雑な気持ちじゃないかと不安でした。

2021年、ドロップス結成12年を迎えて、ボーカリストの中野ミホがバンドの活動休止をSNSで発表しました。同年10月にはラストライブを行いました。ファンは大きな衝撃があふれて、悲しみが止まりませんでした。ブリもその一人でした。ブリの父親も共にドロップスを聞いていたので、驚きが隠せませんでした。ブリの父親から見た、このバンドの活動休止は、「燃え尽き症候群のよう」と考えました。ブリは、結成12年でバンドが息切れして辛かったです。他バンドは結成15年、20年以上と長く続いているのに、こんなふうに静かに終わっていくのが悔しかったです。一体、長く続くバンドと何が違うのか、才能の問題か、技術の問題か、ビジネスの問題か、ブリはますます心が砕けていきそうな気分でした。

現在、ドロップスは公式サイトを閉鎖して、もはやバンド活動の方向性は沈黙状態です。メンバーのなかで、音楽活動を続けているのは、ボーカリストの中野ミホだけです。中野はソロ活動を行っており、自身のSNSで活動の様子をつづっています。ソロ曲も発表しました。ブリはソロ曲を聞きました。その曲の歌詞を聞いて、ブリをどん底まで落ちた気持ちにさせました。

<なんにもなれない わたしを抱きしめて>

<真っ白がこわいから どうかひとりにしないで>

まるで、抱えてきた暗い気持ちを表したような、絶望感あふれる言葉でした。音楽活動をしてきたけど、思うように奏でたい音楽の方向性に迷い、ヒットが飛ばせない、広く認められない音楽、燃え尽きた様子がすかすかの音と合わさって、悲しく響きました。今までさびしかった気持ちを吐き出したこの歌詞は、中野自身の飾らない気持ちのようでした。<なんにもなれない>、夢に挫折したこの言葉を聞いて、ブリはこの記事を思い切って書きました。

何にもなれないことは、不幸なことではないと思います。

人生の意味は一つだけではありません。音楽が仕事なら、人生でのやりがいだと思います。でも、人生の幸せは音楽だけでしょうか。若い時は音楽が全てのように見えますが、年をとれば、幸せの意味が変わると思います。ブリが高校生の頃、音楽が好きで、勉強の合間に聞いていました。音楽が好きでも、ミュージシャンにはなろうと思いませんでした。なぜなら、神経の病気があって、精神的に向かないと気づいていたからです。音楽の道は聞くだけになりました。高校時代は勉強が全てと思っていました。しかし、勉強ができても、思うように就職できなくて、ますますやる気を失いました。人生でなりたい自分になれなかったことは、悔しかったです。今もなりたい自分になっていません。でも、当然そうなると思っています。誰もなりたい理想に必ずなっていないです。いろんな道を見てきて、ブリが思っていたものは、一つだけではないと気づきました。他に意味があると気づいてから、幸せの意味は単純な言葉だけではないと見つけました。文字数にはおさまりきれないほどの意味があります。まだ気づかない幸せが待っているから、毎日を生きています。

なりたい自分は、ロックスターじゃなくてもいいのです。意外と気づかないところに幸せがあります。好きなバンドが、なりたかった夢にくじけても、別の道があると信じています。この混沌とした世界でも、メンバーたちが幸せに生きてほしいです。どうか一つのことだけに固執せずに、いろんな世界を見て、人生を考えて、無理せず好きなことを見つけてほしいです。バンド活動はきっと戻る可能性があると信じています。最期まで人生は分からないものばかりです。

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