ORANGE RANGEが表した「音楽」を聞いて思ったこと~幅広いジャンルの邦楽ロックバンドのスタンダード
皆さんは、邦楽オルタナティブロックバンド、ORANGE RANGE(以下レンジ)のアルバムを聞いたことがありますか。
ベストアルバムか、代表曲のどれか1曲を聞いて、すませた邦楽ファンがいると思います。
2000年代前半は、アーティストの世代交代が著しく、個性的なソロアーティスト、バンドたちが現れました。特に、レンジの登場は邦楽界で大きな影響を与えました。
2023年、サントリー飲料の新成人に向けたCMで、CM曲に選ばれたのは、レンジの代表曲『花』でした。当時の成人が生まれた時のヒット曲でした。
現在の20代前半の邦楽ファンは、当時のレンジの流行を知らない世代で、後にサブスク配信やショート動画を通して、レンジの代表曲を知るようになりました。
現在の20代後半、ブリと同じ30代の邦楽ファンは、少年時代にレンジの流行を見ていた世代でした。2003年から2006年まで、レンジのヒット曲の連発と人気上昇で、レンジは老若男女問わず注目されました。「レンジブーム」と呼ばれる流行を起こしました。
(レンジの活躍について、一気にまとめた別記事はこちらへ)
今回は、レンジが邦楽界で名をあげたアルバムを紹介します。2004年12月1日に発売された、2枚目のアルバム『musiQ』(ムジーク)です。
収録シングル曲は『ミチシルベ〜a road home〜』『ロコローション』『チェスト』『花』の4枚です。レンジの代表曲が多く詰まっています。レンジのアルバムで、音楽CDのダブルミリオン記録を出しました。
『musiQ』は2024年に発売20周年を迎えました。このアルバムは当時の売上記録だけではなく、後に数々の記録を作りました。レンジのアルバムで多くの逸話があります。
このアルバムは収録された楽曲は、全19曲もあって、大変な文章量になるので、できるだけ簡潔にどんな感じの曲かまとめます。
この記事では、レンジの『musiQ』を100周も聞いて、思ったこと、2004年当時の邦楽界、レンジブームの背景をまとめました。アルバム発売20周年記念の記事です。
レンジのメンバーは、ボーカリストのYAMATO、HIROKI、RYO、ベーシストのYOH、ギタリストのNAOTOです。かつてドラマーだったKATCHANがいました。
メンバーは以下ヤマト、ヒロキ、リョウ、ヨウ、ナオト、カッチャンと呼びます。
☆沖縄からのチャンプルーサウンド
2004年の邦楽界は、アーティストの世代交代が著しい頃で、若いアーティストたちがヒット曲を飛ばしていました。この頃のヒット曲は、エレクトロニカ作風の楽曲が多い傾向でした。特に、アメリカでヒットした「ヒップホップ」なる音楽ジャンルの人気が高まり、ヒップホップグループが広まっていました。RIP SLYME(リップスライム)、ケツメイシ、SOUL'd OUT(ソールドアウト)、m-flo(エムフロウ)などのヒップホップグループが登場、またはDragon Ash(ドラゴンアッシュ)、FLOW(フロウ)のようなヒップホップ作風を軸にしたロックバンドが人気でした。
一定の打ちこみと音のサンプリング、言葉の多さ、日常や感情に共感するテーマ、アップテンポで速い歌い方が、ヒップホップの特徴です。歌詞を重視する歌い方が根強い邦楽界で、ヒップホップは2000年代前半の邦楽界の主流になっていきました。今日の邦楽界でも人気のジャンルです。
邦楽ロック界でもヒップホップ作風は浸透していきました。ヒップホップを軸にしたロックを「ラップロック」、日本国内では和製英語で「ミクスチャーロック」とも呼ばれています。幅広いジャンルを奏でるロックバンドは、英語では「オルタナティブロック」と扱われています。「オルタナティブ(alternative)」とは、英語で「代わりのもの」「伝統とは違うもの」という意味です。
メロディーを繰り返すリフを使う、王道ギターロックと違い、ポップス、ヒップホップ、クラブミュージックなど幅広いジャンルを取り入れたロックは、「オルタナティブロック」と呼ばれています。Dragon Ash、ORANGE RANGE、UVERworld、Aqua Timezなどは、そのような作風です。
2000年代前半から、オルタナティブロック作風のバンドが増加していきました。
(2004年の邦楽ロック界について、別記事へどうぞ)
2004年、日本国内で沖縄への注目が高まっていました。2000年の九州沖縄サミットがきっかけでした。その後、美ら海水族館(ちゅらうみ)の開園、琉球王国にまつわる世界遺産の登録、沖縄モノレールの開通など、新しい観光名所がさかんになりました。
沖縄は戦後にアメリカから日本へ返還された県です。古の琉球文化、戦後のアメリカ文化が混じる、多文化の島々です。沖縄にまつわる作品が注目されて、沖縄の音楽文化も盛り上がっていました。安室奈美恵(あむろなみえ)、MONGOL800(モンパチ)、HYなどの沖縄出身の邦楽アーティストが人気です。
沖縄ブームが盛り上がるなか、ORANGE RANGEはデビュー1年目を迎えた、若いバンドでした。
☆シティボーイになった少年たち
レンジの生まれた沖縄は、アメリカ文化、沖縄文化が混じる環境です。彼らが育った沖縄の街は、アメリカ軍基地と共存した町で、アメリカからの音楽文化が浸透していました。メンバーは日本のJ-POP文化、洋楽の文化で育ちました。ナオトとカッチャンは中学時代からバンドをやりたい動機から始まり、高校時代に同級生のヒロキ、後輩のリョウ、ヨウ、ヤマトが集まり、レンジは結成されました。
レンジにとって、沖縄は彼らの故郷であり、バンドの創造性を与える拠点です。沖縄は故郷への想い、沖縄弁、琉球文化、自然との共生といった考えが強いところです。レンジの作品にも、その考えが見えます。
レンジは沖縄から、本土(東京)に進出して、2003年に『キリキリマイ』でデビューしました。続けて夏のシングル曲『上海ハニー』でブレイクを起こし、沖縄ブームが重ねって、少年少女の間で知名度が上がりました。レンジはギターロックだけではなく、ヒップホップを軸にポップス、沖縄民謡、テクノ、ロックなど、幅広いジャンルを奏でるバンドとして、知られました。
レンジは、バンドとしてアピールするだけではなく、メンバーの個性を表して、アイドルグループのようにアピールする手法を展開しました。ナオトが提案して、初期のレンジはその路線で行きました。
2004年のレンジは、最も活発な時期でした。インディーズ時代に作った『ミチシルベ』をリメイクしたシングル曲から、初めてのバラード曲『花』まで、発売したシングル曲が音楽ランキング1位を獲得しました。楽曲には映画、CM、ドラマのタイアップが付き、レンジは日本全国の少年少女、大人の邦楽ファンに注目されました。ライブ活動も、数百人規模のライブハウスから、1000人以上のZepp、ホールへ動員数が増えました。
レンジはシングル曲だけではなく、制作したアルバム曲も思いつくままに作りました。その結果、アルバムは全19曲の大ボリュームになりました。出来上がった2枚目のアルバムの題名は、ヒロキが思いつきました。「"音楽"だったら、当たり障りないだろう」と考えて、『musiQ』(ムジーク)と付けました。アルバムは発売日の夜に、ミリオンセラーになりました。レンジブームの勢いを感じるアルバムは、邦楽界で大きな出来事になりました。そして、当時の少年少女たちの邦楽ファンは、レンジを聞いた世代になりました。
1990~1998年に生まれた邦楽ファンは、少女時代に当時のレンジブームを見た世代です。ブリもその世代です。
若きレンジは、2000年代前半に、
「一つのジャンルにこだわらず、幅広いジャンルを作るロックバンド」
「1人または複数のボーカルが歌い、打ちこみ楽曲で、ヒップホップ作風を主流とする」
「外部の作詞作曲家ではなく、メンバー自らが楽曲の制作をする」
「バンドは親しみやすい存在」といった、新しいバンドのスタンダードを見せました。
☆多様なメンバーたち
レンジのメンバーは、好きな音楽ジャンルがばらばらです。でも、「音楽が好き」という動機が一致しています。それぞれ違った音楽の好み、多文化の環境から、多彩な音楽ジャンルを作り出せたと思われます。
歌声は、ヤマト、ヒロキ、リョウの3人で歌います。主にヒロキがメインボーカルで、ヤマトとリョウが追いかけるように歌い、3人でハーモニーを歌うスタイルです。ロック寄りのフレーズで高音域で歌うヤマト、いろんな曲を柔軟にハスキーな声質で歌うヒロキ、ヒップホップ寄りのフレーズで低音域で歌うリョウ、それぞれは好きな音楽ジャンルに特化したような、クセのある声質です。3人に共通するのは声区を切り替えることがない、マイペースで、まっすぐ歌う姿勢です。メインボーカルにいるヒロキは、いろんな音楽を聞くタイプで、柔軟に歌えるような声質です。3人はレンジの作詞の担当で、レンジ特有の独特な歌声です。
作曲は主に、ロック好きなベーシストのヨウ、テクノ好きなギタリストであるナオトです。ヨウはロック作風が多く、ベースを軸にした、ギターロック、ラウドロックを作り出します。ナオトはテクノを中心とした幅広いジャンルを作る姿勢で、さまざまな曲調を作ります。ナオトは、レンジの独特なキャッチーで、複雑なメロディー構成を作る、バンドの頭脳となります。
☆大ボリュームのセッション
このアルバムを聞いて思ったことは、ギターロック作風が強かった前作『1st CONTACT』より、幅広いジャンルを広げた大作になっています。ジャズ、パーティーソング、メタル、テクノ、R&Bとジャンルの引き出しの多さが感じる内容でした。沖縄にまつわる音やテーマが多かった前作より、一般的な街や人々を描いたテーマと音で占められています。
このアルバムは全19曲、収録時間65分58秒と大長編作品になっています。とにかく多彩な楽曲が多くあって、聞き疲れてしまうかもしれません。半分でも大変かもしれないので、アルバムの5曲目で聞いたら、休んでいいです。せっかちなリスナーはサブスク配信のダイジェスト再生で一気に聞いてもいいです。
あと、比喩表現があふれた歌詞が多いですが、深く考えなくていいです。ただ感じたままで聞いてください。
☆歩いていくキセキ
収録シングル曲は、レンジのキャッチーで、多彩な音楽性を表す代表曲です。
シングル曲『ミチシルベ~a road home~』は、レンジがインディーズ時代に出したシングル曲でした。それをデビュー後にリメイクして、重厚なギター演奏で、歌詞とサビを分かりやすくした内容になりました。
夢に向かう主人公は、生きていくなかで大人へ変わる自分が、初心と目標を忘れていきそうでした。人生の喜怒哀楽、紆余曲折を描き、迷っても、夢と目標は逃げないと信じるのです。5分にわたる、熱いラップとギターロックが聞きごたえあります。
シングル曲『ロコローション』は、アメリカの歌手、リトル・エヴァのヒット曲『ロコ・モーション』をもじってカバーした、夏の代表曲です。夏の海ではしゃぐなか、青年が必死に美女を口説こうとナンパする、夏の解放感があふれるパーティーソングです。『ロコローション』の「ション」の音にひっかけた言葉遊びがおもしろいです。
レンジで、夏の定番曲に挙げられる1曲となりました。
シングル曲『チェスト』は、ざらざらしたギターとベースが響く、ラウドロック楽曲です。メンバーが読んでいた、空手漫画『空手バカ一代』の台詞「チェスト」を引用して、歌詞に使われました。ヒロキ、リョウ、ヤマトの順に歌い、ライブの熱と疾走感が響く楽曲です。締めにヤマトが「チェスト」とロングトーンで叫びます。
シングル曲『花』は、当初はアルバム用にリョウのソロ楽曲として制作されていました。念入りに制作されて、シングル曲として発売されました。レンジのシングル曲で、今までにないR&Bオーケストラバラード曲として大きく注目され、ミリオンセラー記録を出しました。限りある生と死を受け入れながら、生きる人間の生命力と愛情を「花」に例えた歌詞です。出会って、恋に落ち、時にすれ違い、困難があっても、大切なパートナーと生きていきたい想いがあふれます。「花」には具体的な名前や色は描かれず、それぞれの生命と愛情のしるしを表したものです。オーケストラとR&Bが合わさった、感動のバラード曲で、カバーやカラオケで歌われました。恋愛映画『いま、会いにゆきます』の主題歌として、アジア圏でも知られました。
☆いつも僕らは音楽でつながっているから
収録曲は、コミカルな歌詞、青春劇場、パーティーソング、心温まる歌詞があって、終始盛り上がる雰囲気です。収録曲の間にインスト曲をはさんでいる構成です。
アルバムの冒頭でヤマトが「沖縄」と叫ぶ声が入る、テクノディスコのインスト曲『KA・RI・SU・MA』。レンジ史上最も短い曲です。これから始まるアルバムの幕開けでかっこいいです。
テクノポップス曲『以心電信』(いしんでんしん)は、アルバム制作で最初に作られた楽曲です。遠距離恋愛の少年少女を描き、主人公は空を眺めて、前向きに過ごしていることを伝え合っています。四字熟語の「以心伝心」にひっかけて、音楽を通して「つながり」を伝えるレンジの想いを感じる名曲です。この楽曲は、携帯電話のCMに流れたことで、シングル曲に負けないほどの代表曲になりました。
さらに、当時の携帯電話向けダウンロード配信サービス「着うた」で、ミリオンセラー記録を作りました。「着うた」は自分の携帯電話に、ダウンロード配信で購入した、ショートバージョンの楽曲を着信音に設定できました。ブリはそれを使っていた一人でした。
カップリング曲『ZUNG ZUNG FUNKY MUSIC』は、ファンクとジャズ作風で、ギターのリフを鳴らす、ノリノリな楽曲です。世の中で言われることにとらわれずに、自分だけのノリで楽しめばいい、レンジのモットーを感じるパーティーソングです。
インスト曲『パディ ボンマヘ』は、アイヌ民族の楽器ムックリと、メンバーのかけ声と動物の鳴きまねで演奏される、架空の民族音楽です。心と体を飾らないでレコーディングした状況でした。よく考えると、シュールな作業だと感じます。曲名のアクセントは、「ぱでぃ・ぼん・まへ」です。特に意味はない曲名なので、感じるままで聞いてください。
ジャズディスコ風テクノで、都会の雰囲気を楽しんで踊る青年を描いた『シティボーイ』。美女、ミラーボールの輝き、高級車、サングラスと、派手なものが現れます。きらびやかな夜の街へ遊びにいく、青年の勘違いと欲望を描いた楽曲です。ステップを踏みながら、ヒロキたちが歌う、ライブパフォーマンスで盛り上がりました。
中国語で「ありがとう」を意味する『謝謝』(シェシェ)。ヒップホップジャズで、街のさびしさ、忙しい時間、人々の入れ替わりに焦る主人公は、自分の居場所や仲間とのつながりを求めるのでした。ビルの明かりと違って、星と月は変わらずに美しく、主人公を照らすのです。歌詞の比喩表現が深いです。どうして中国語の曲名にしたかというと、ナオトは「シェシェと言ってるような曲」と思ったからです。
語呂合わせのような曲名で、ビッグバンド風のパーティーソングを奏でる『男子ing session』。酔って、騒いで、何も考えない、ストレス発散と解放感を声と音の騒がしさで表した、楽しい曲です。アウトロをよく聞くと、アナログレコード盤のノイズが聞こえます。これは次の曲へつながっているのです。
アルバム序盤はここまでです。
☆それぞれの夢を求めて
アルバム半分まで来ました。中盤と終盤はさらにとんでもない迷曲、名曲が来ます。
アナログレコード盤のノイズがあるイントロから、突然歌声が入る『Beat Ball』。五感のままにリズムに乗って楽しむ、ビーチサウンド風テクノ曲です。ドラムのリズムが不思議と変わった流れです。次第に厚みが増す、コーラスと楽器隊の盛り上がりから、さびしげなギターの小さな音で終わります。ブリのお気に入りの楽曲です。
アンプの雑音が入って、歪んだギターとベースが流れて、ノイズ加工されたボーカルが歌いだすメタルパンク楽曲『FULL THROTTLE』(フルスロットル)。2分程度しかない楽曲ですが、レンジの出身地である沖縄からの熱意と、バンドの勢いをこめたアグレッシブなロック楽曲です。ヨウのロック好きな勢いで作られた瞬間があります。
夏祭りの勢いと、少年少女の恋と遊びを楽しく歌う、和太鼓パンク曲『祭男爵』。ヨウが浮かんだリフをナオトが組み立てて、出来ました。夏祭りのかけ声、和太鼓の響きが真夏の熱を感じます。沖縄弁で「お腹空いた」を意味する、「ヤーサイ」がかけ声で流れます。アウトロで演奏が止み、ヤマトの声と軽いシンバルだけになり、告白しようとする少年の沈黙とときめきを感じさせます。
感傷的なギターのイントロから始まって、テクノとインド音楽とロックが混じった複雑なメロディーが響く、コミックソング『papa』。残業続きの音楽スタッフの親子をモデルに、父親の辛さと子供のやり取りをこっけいに描いた歌詞です。とにかくシュールな言葉遊びと、複雑なメロディーが見事に合った迷曲です。レンジファンの間で、衝撃を与えました。
ちなみに、名護のパイナップル園は、沖縄に実在する観光地です。
誕生日に猫を3匹を買う、マレーシアのジョークは存在しません。
レンジの歌声をリレー競争のように変えて、ギターとベースとドラムの響きへ一気に突き進む、ヒップホップパンク曲『HUB☆STAR』(ハブスター)。リレー競争の勢いを楽器隊とボーカルのコーラスで混ざり合うアウトロが重厚です。歌詞の中に、レンジのインディーズ時代の楽曲『奏重鼓』(そうじゅうこ)の曲名が登場します。この楽曲はレンジにとって、時々登場する、重要な曲なのでよく覚えてください。
ラップロックで、青春恋愛劇場を歌う『Oh! Yeah』。四六時中、好きな女子のことを思う、思春期の学生の甘酸っぱい恋を学校の風景、夕陽とともに描いています。メンバーはしつこい少年を描いてしまったと思いました。
アルバム終盤を飾る、オーケストラバラード曲『SP Thanx』は家族や友人にあてた、感謝の言葉があふれています。リョウの母親から受け取った言葉から始まり、夢に迷う主人公が好きなことを全力でがんばることで、自分自身の強さと生きる意味になると気づきます。夢と強さは家族や友人、自然との共存で生まれていくと語られています。夢があっても、なくても、人生はなんとかうまく行くと伝える歌詞に和みます。夢をゴールだと思って、必死に夢を目指す『ミチシルベ』とは対象的な歌詞です。
アルバム最後となる、和風インスト曲『ジパング2ジパング』は、スローテンポなダブステップに混ざる、琴とサンプリングが、美しいメロディーになっています。ナオトの得意なテクノ作風が光る楽曲です。
大作アルバムはこうして締められました。
☆キラキラジャケット仕様で発売
『musiQ』には初回盤パッケージがあります。銀箔のような反射ジャケット仕様になっています。この初回盤パッケージは、「キラキラハブジャケット仕様」と書かれています。2000年代前半は、まだアルバムにDVDやBlu-rayが付いた、初回盤仕様がありませんでした。ダウンロード配信、サブスク配信のジャケットは、キラキラではない通常の用紙になった、通常盤のジャケットで統一されています。ジャケットの画像データを見る方には、なかなか気づかない仕様です。
☆レンジ大長編のアルバム
『musiQ』は、レンジのアルバムで3番目に収録時間が長い作品です。
2005年のアルバム『NATURAL』は77分22秒と、現時点でレンジ史上最も収録時間が長い作品になっています。2006年のアルバム『ORANGE RANGE』は74分51秒と2番目に長い作品です。
レンジブームの時期のアルバムは、とにかく収録時間も楽曲数も多いです。ここまで収録した理由は、思いついたものをつめこんだからです。とんでもないエネルギーです。
☆実はアルバム名候補だった
アルバム名の候補に、実は収録曲『HUB☆STAR』がありました。しかし、ヨウは大反対で、絶対にアルバム名にしないと強く言ってました。
『musiQ』なるアルバム名にしなかったら、大ヒットアルバムの名前として、良くなかったでしょう。ヨウのおかげで、良いアルバム名になりました。
ちなみにレンジのファンクラブの企画で、『HUB☆STAR』は野球チームの名前になって、試合をしました。
☆21世紀最も売れたオリジナルアルバム
2003年にレンジがデビューした後、数々のソロアーティスト、バンドたちが現れました。しかし、邦楽界のCD売上が低下傾向が進んで、アルバムのミリオンセラーは出なくなりました。ベストアルバムのミリオンセラー記録は出ましたが、オリジナルアルバムの記録は全くありませんでした。
1990年代にデビューしたアーティストが出したオリジナルアルバムで、最も売れたのは、宇多田ヒカルの『First Love』(765万枚)です。最も売れた音楽CDのオリジナルアルバムのトップ10に挙がるアーティストたちは全て、1990年のアーティストたちです。
一方で、2000年代にデビューしたアーティストが出したオリジナルアルバムで、最も売れたのは、ORANGE RANGEの『musiQ』(264万枚)です。
2020年に米津玄師のアルバム『STRAY SHEEP』で、久しぶりに音楽CDのオリジナルアルバムのミリオンセラー記録が出ました。150万枚の記録を作りましたが、それでもレンジのアルバム記録に届きませんでした。
2024年時点で、このアルバムは21世紀にデビューしたアーティストで、最も多く売れたオリジナルアルバムとなりました。
音楽CDは時代を作りましたが、二度と主流の媒体にはならないと気づかされました。
☆いまだにミリオンセラーになっていなかった
シングル曲『花』は、日本レコード協会から音楽CDのミリオンセラー記録が認められましたが、実はあと9枚でミリオンセラーに届きませんでした。オリコン売上ランキングではミリオンセラーではありませんが、日本レコード協会の出荷枚数では、ミリオンセラーに届いていたので、認定されました。
現時点でまだミリオンセラーに届いていません。でも、音楽CDだけではなく、2004年のダウンロード配信の着うたではダブルミリオン記録を作りました。2024年に、サブスク配信で1億再生のプラチナ記録を作ったので、名曲の魅力は本物でした。
余談ですが、『花』のシングル盤には、『花』のロングバージョンが収録されています。当初はロングバージョンで作られましたが、映画のタイアップが決まったので、シングル用に間奏を短くしました。
☆実は見送られたシングル曲
アルバムの制作中、収録を考えていたけど、見送られた楽曲がありました。それは後にシングル曲で出た『イケナイ太陽』でした。
この楽曲を見送った理由は、メンバーは「大人になったら歌おう」と思ったからでした。おそらくまだ自分たちが歌うには早いと、温めておいたと思われます。そしてこの楽曲は、メンバー全員が大人になった2006年に発売されて、レンジの代表曲になりました。
★まとめるとレンジの幅広さを知る名盤
以上、レンジのアルバム『musiQ』について、思ったこと、発売当時の背景をまとめました。沖縄ブームから注目されたレンジは、人気になりました。彼らが住む多文化の環境が、幅広いジャンルのロックバンドの音楽性を生み出しました。幅広いジャンルをメンバーが作る、オルタナティブバンドは、邦楽界のスタンダードになり、後のバンドたちに影響を与えました。
このアルバムを簡単に説明すると、「レンジの幅広いジャンルをアピールできる、レンジを初めて聞く人におすすめの名盤」です。大ボリュームのアルバムなので、一気に聞いても、1曲ずつ聞いても飽きません。
レンジの代表曲は、後にショート動画やサブスク配信で、レンジブームを知らない少年少女に知られていきました。レンジが作り出した楽曲は、ブリの世代がいろんな音楽を楽しむきっかけとなり、邦楽史の一つとして刻まれました。
レンジは人気バンドになる夢を叶えましたが、それはゴールではなく、人生の途中です。「音楽は自由で、誰でも楽しむもの」だと、奏でてきました。夢を叶えるためだけではなく、音楽が大好きだから、バンドが続いています。ブリたちは音楽から、人々との交流、文化への理解を感じました。音楽は、夢、思い出、文化、人々との交流、自由な世界を表現するものです。