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初見で気づかないチャゲアスのジャケットにあるもの
皆さんは、邦楽ポップスデュオ、CHAGE and ASKA(以下チャゲアス)で好きなジャケットは何ですか。
チャゲアスが多くの作品を発表してきたなかで、楽曲の世界観をイメージしたジャケットが多くのデザイナーによって、描かれました。メンバーを写したジャケットだけではなく、デュオのロゴマーク、イラスト、彫り物、自然の背景、模様など、いろんなデザインのジャケットがあります。
どのジャケットも美しく、かっこよく良いものです。ジャケットから、当時の時代のデザイン傾向が見えます。でも、なかには初めて見た人が意外と気づかない、隠れたものがあるジャケットがあります。よく見ると何かあったり、何かの事情でジャケットに変更を加えたものがあります。
ブリは多くのジャケットを見ているなかで、いくつか発見がありました。
この記事では、チャゲアスの歴代シングル、アルバムのジャケットで、初めて見た人も、ファンも、意外と気づかないことをまとめました。ブリが見つけたものをできる限り、集めてみました。皆さんは、いくつ気づきましたか。
CHAGE、ASKAはそれぞれ「チャゲちゃん」「あすちゃん」と呼びます。
☆隠れたデザイナー名
1984年に発売されたアルバム『INSIDE』は、青い背景に真ん中で結晶が浮んだイラストがあります。1980年代前半はCG技術がないので、筆で描いたイラストが邦楽界で多かったです。
結晶には、1980年代前半の初期チャゲアスのロゴマークである、不死鳥マークがあります。マークの下をよく見ると、結晶の中に小さな文字があります。
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デザイナー名
「C 1984 SORAYAMA」というアルファベットと数字が書かれています。「C」は著作権マーク、「1984」はアルバム発売年、「SORAYAMA」とは、デザイナーの空山基(そらやまはじめ)さんの名前です。彼は、金属質な人物や動物のイラストが特徴的で、現代アートを描いています。ミュージシャン、アパレルメーカーとのコラボレーションを行ったことがあります。ペットロボットのAIBOのデザインを手がけたことがありました。空山さんの美しいイラストで、アルバムの世界観を表現しています。
☆実在の建物を描いたジャケット
1982年に発売されたアルバム『黄昏の騎士』には、実在の建物が描かれています。夜景のビルの屋上には、チャゲアスの不死鳥マークとデュオ名が刻まれて、馬に乗った騎士が飛びこんでいます。
このビルは、東京都新宿区にある、「新宿住友ビルディング」です。1974年に完成した、超高層オフィスビルです。「三角ビル」とも呼ばれています。
三角ビルの左隣は新宿三井ビルディング、右隣は第一生命ビル、ホテルのハイアットリージェンシー東京があります。
ビルの地下は、都営大江戸線の都庁前駅とつながっています。
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新宿のビル群の名称。
ちなみに、当時のジャケットのイラストには、野外の三角広場が描かれていましたが、現在はガラスの屋根が付けられました。ブリは聖地巡礼として、ビルを見学しました。マナーを守りながら、都心の風景を楽しんでください。
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☆初めてのジャケット違い
チャゲアスは現在の邦楽でよくある、初回盤と通常盤のジャケット違いを出したことはありません。実は以前に、レコードとCDで違ったジャケットを出したことがあります。1984年、CDとして再販売したアルバム『熱風』は、ジャケットがアナログレコードと違います。『熱風』は、1981年にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック)がアナログレコード盤として発売し、1984年にCDとして再販売しました。
アナログレコード盤と比べると、CD盤はジャケットの不死鳥マークの輪郭がくっきりして、「熱風」の文字が少し大きいです。
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写真左がアナログレコード盤、右が再販売CD。
ちなみに、チャゲアスが当時所属していたワーナーで発売されたオリジナルアルバムは、アナログレコードとCDで発売されました。『風舞』から『Z=One』までのオリジナルアルバムは、CDとして存在します。これらは貴重な古のCDです。『熱風』だけはジャケットが違います。
☆コラボ番組のワッペン
1981年に発売されたシングル楽曲『放浪人(TABIBITO)』(たびびと)のジャケットは、若きチャゲアスが座っている様子が写っています。写真左のチャゲちゃんの上着の腕をよく見ると、「Presented by cocky pop YAMAHA」と書かれたワッペンが付いています。
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写真左のCHAGEの腕にある上着のワッペン。
これは、「コッキーポップ」という音楽番組のロゴです。同番組は1971年から1986年まで、ラジオ番組、テレビ番組として放送されていました。ヤマハミュージックが当時開催していた音楽コンテスト「ポピュラーソングコンテスト」(略称ポプコン)に出場するアーティストたちを紹介するものでした。
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チャゲアスは、ポプコンからデビューしたアーティストで、同番組によく出ていました。チャゲアスの最古参ファンは、少年時代に見ていました。
☆砂で描かれたチャゲアス
1986年に発売されたアルバム『MIX BLOOD』のジャケットは、仮面の顔と、チャゲアス2人の顔が描かれています。これは、砂で描かれたジャケットです。このジャケットのデザインを手がけたデザイナー、西本和民(にしもとかずたみ)さんは、彼らの音楽から感じたものを表現して、自分の中で生まれたデザインを作りました。砂で作られた、細かいチャゲアスの表情が、かっこいいです。
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ジャケットのチャゲアス
ちなみに、このジャケット制作のために撮影した別の写真は、世界中のデザイナーが集まる広告写真の国際賞、ニューヨーク国際ADC展(Art Directors Club)で入選しました。チャゲアス本人はその話に驚いていました。チャゲちゃんは、「きっとモデルがよかったのかもしれない」と思いました。
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写真を手がけた西本和民は、
ニューヨーク国際ADC展で入選。
☆本物の彫刻ロゴ
1988年に発売されたアルバム『RHAPSODY』には、大理石のような模様に、1980年代後半のチャゲアスのロゴマーク「C and A」が書かれています。このロゴマークは、絵ではなく、実際に作られた彫刻です。
このロゴマークを作ったデザイナー、西本和民さんはジャケットをこうやって制作しました。
プレート石の板にロゴマークを彫り、板をわざと腐食させて、バーナーで焼きました。仕上げに塗装を付けて、このジャケットを完成させました。西本さんは「チャゲアスのこれまでの歴史を表して、さらに彼らが羽ばたいてほしい」と、ジャケットにこめた想いを語っていました。
ちなみに西本さんは、チャゲアスの他に、MULTI MAX、B'z、THE ALFEEなどのアーティストのジャケットを手がけました。
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発売当時のジャケット
☆レコードとCDで違うジャケット
1980年代のチャゲアスのアルバムは、アナログレコードで発売されました。後にCDの普及で、CDとして発売されました。実は、CD化されたアルバムで唯一、ジャケットが変更されたアルバムがあります。それは1988年に発売されたアルバム、『RHAPSODY』です。
1988年発売当時のアナログレコード盤では、黒字の「C and A」ロゴマークがあるジャケットです。1989年に再販売されたCDでは、別デザインのジャケットになりました。なぜこうなったのか分かりませんが、おそろくアナログレコード盤とCDとの違いを出して、普及したばかりのCDの特別感を出したかったと思われます。
ちなみに、後のリマスター盤では、アナログレコード盤のジャケットが再現されました。
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写真左がアナログレコード盤、右が再販売CD。
☆レコードとCDでデザイン構成変更
アナログレコードで出された一部のシングル楽曲は、8cmCDとして再販売されました。1986年の『モーニングムーン』から1989年の『LOVE SONG』まで、再販売されました。
アナログレコード盤のジャケットは、8cmCDのサイズに合わせるために、写真が切り抜きされ、縮小されました。実はアナログレコード盤と8cmCD盤で違うジャケットになったシングル楽曲があります。それは、『LOVE SONG』です。1989年発売当時のアナログレコード盤では、「C and A」ロゴマークがあるジャケットです。1992年に8cmCD盤として再販売されたジャケットでは、1990年代のチャゲアスのロゴマークに変更され、新たに作られたメンバーの写真とデザインになりました。
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写真左がアナログレコード盤、
右が再販売された8cmCD盤。
1990年代は、シングル楽曲だけは8cmCDで発売されていました。アルバム作品だと12cmCDとして発売します。1990年代は8cmCDが日本国内でたくさん売れていました。縦型のジャケットが、「短冊」と呼ばれていました。
チャゲアスが人気になった頃、過去の楽曲を違う媒体で再販売されました。彼らの『LOVE SONG』は、多くの人々に知られていきました。
☆消されたポニーマーク
これは、一部の音楽ダウンロード配信で発売されている、チャゲアスの8cmCDのシングル曲のジャケットで見られる特徴です。彼らが、ポニーキャニオンに所属していた間に発売された8cmCDのジャケットにある、当時のポニーキャニオンのマークが消えています。チャゲアスは1985年から1997年まで、ポニーキャニオンに所属していました。レコード会社を移籍するたびに歴代アルバムは再販売されてきましたが、8cmCDとして発売したシングル楽曲はCDとして再販売されず、ダウンロード配信として再発売されました。
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写真左が1991年発売当時の8cmCD盤、
右がダウンロード配信のジャケット。
マークを消す理由は分かりませんが、もしかすると、チャゲアスがレコード会社を移籍した事情で、混乱しないようにマークを消したのだと思います。でも、当時の発売背景を尊重するように考えると、消すのはもったいないと感じます。
☆消えた「U」
これは一部のアルバムで、修正された表記です。アルバム『PRIDE』は1989年発売当時、アルバム名の下に「CHAGE & ASUKA」と書かれたジャケットでした。2001年に再販売された時は、「CHAGE & ASKA」と修正されました。
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写真左が1989年発売当時のジャケット、
右が2001年再販売のジャケット。
あすちゃんはデビュー当時は、「飛鳥」か「飛鳥涼」と表記されましたが、ローマ字表記では「ASUKA」と書かれていました。1979年から1989年までは、「U」の付いたアルファベット表記でした。1990年以降、現在の「U」抜きの「ASKA」表記になりました。こうなった理由について、あすちゃんは「外国人に"アスーカ"と読み間違えられたから」と言ってました。読み間違えないように、「U」抜きの表記にしました。2001年以降は、作詞と作曲名に書かれた「飛鳥涼」表記を「ASKA」に統一しました。
初めてチャゲアスを知った方に向けて、なじみ深い表記にしたか、または違和感がないように現在の表記にしたと考えられます。後で表記を変更したのはオリジナルアルバムでは『PRIDE』のみ、あとはバラード楽曲のベストアルバム『THE STORY of BALLAD』です。
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『THE STORY of BALLAD』(1990年)
「U」抜きASKA表記となったジャケット。
一方で、「当時の表記のままにしてほしい」と思うファンがいます。2009年のリマスター盤で出た『PRIDE』では、発売当時の「CHAGE & ASUKA」表記が再現されました。
☆2人の写真はパロディー
1992年に発売されたアルバム『GUYS』では、洞窟の向こうで、立っているチャゲアスと、その先に船が見えています。実はこのジャケットは、歴史的写真のパロディーです。
元の写真は、1910年から1913年に行われた、イギリスの南極遠征プロジェクトで撮られたものです。探検家のロバート・ファルコン・スコットが率いた、「テラノバ遠征」と呼ばれる地理調査として、南極点へ向かった出来事です。1911年1月5日に、南極の氷山で見つけた洞窟を撮影しました。しかし、南極点に到達した探検隊は全員亡くなりました。写真家のハーバート・ポンティンクが撮影した、探検隊の写真は、歴史的出来事として伝わりました。
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右が南極遠征での洞窟写真
チャゲアスは、1990年代の邦楽界で頂点に登りました。ジャケットは、彼らの挑戦と、未知の世界へ邦楽ファンを誘うように見えました。
☆世界遺産のもとで撮影
1999年に発売されたアルバム『NO DOUBT』のジャケットは、2人は雨が降るなか、周辺に人工物がない、平面の場所で立っています。この場所は実際にあります。それは富士山の五合目にある、駐車場で撮影しました。撮影当時は、雨の中で、霧がかかり、傘を差しながら撮影されました。
何もない場所と思いきや、世界遺産の近くで、人工物がある場所で撮影した、ジャケットでした。
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ジャケットのチャゲアス
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富士山五合目の駐車場。
☆まとめ
以上、チャゲアスのジャケットにまつわる、いろんな発見でした。ブリが調べて、分かる限りの話をまとめました。まだ分からない話があると思いますが、また何か分かったら、追記するかもしれません。
チャゲアスファンの皆さんは、いくつ知っていますか。ジャケットは全てかっこ良くて、素敵な芸術作品です。