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この世にはナイフがあって、物事を二つに分断しつづけている

碧ちゃんは「心は女性なのか?」とよく聞かれる。あるいは「心は女性、心は男性」とかって話題があがる度にモヤっとして思い出す文章がある。

ドゥワッチャライクの最終回(1997/12/18)

人は分ける。上と下。右と左。陰と陽。善と悪。とにかく分けたがる。自分自身さえも分けてしまう。不良か優等生か。運動神経がいいか悪いか。人間嫌いか社交家か。完全にどちらかである人なんて絶対にいなくて、僕らは混然とした存在なのに、混然を受け入れるってのは難しいから、面倒くさがりの脳は、あるいは機能は、それ自体をあるがままに受け入れないで、白黒つけてゆく。そうすると物事は、すごく簡単になるから。ボケとツッコミ。
懐かしいアズテック・カメラの、「ナイフ」という曲は、この世にはナイフがあって、物事を二つに分断しつづけている、ということを歌っている。

これオザケンの文章なのですが、これが碧ちゃんは全てだと思ってる。

例えば、同性愛とか、濃度が濃いか?薄いか?だけで誰もが持ってる要素だと思ってる。女の子同士で手繋いだり、キスしたり。サッカーの試合でゴール決めたら男同士でキスしたりする。

言葉は分ける。あの人はゲイだとか、あの人はレズだとか、僕はストレートだとか。でも、友愛と性愛の境界線はもっと曖昧だと感じる。

社会は言葉で成り立ってる。社会は合理的に機能しないといけないシステムだから、物事を分ける作業が必要になる。

しかし、人間はもっと混在としてる存在で、簡単に分けられる存在ではない。だから、音楽とか芸術が人間の分けられない混在してる表現を補ってる。

碧ちゃんのDJの感想で「キラキラしてるけど切ない」とよく言われる。とても嬉しい。人間の感情は"楽しい"とか"悲しい"とか、そう単純に分けられるものではないと思っていて、例えば、クドカン作品を観ると、めっちゃ笑えるのに涙がボロボロ出てきて感動してる事がある。

社会の合理性からこぼれ落ちた人間性を、そこを表現するのが音楽や芸術の役割だと思ってる。

でも、人間は社会の中で生きてるから、そこを忘れると頭の中まで、人間性まで、社会の合理性に支配される。今、こういう人はとても多いと感じる。

碧ちゃんは、分けられない人間の感情を、分けられない人間性の本質を見つめていきたい。


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