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小沢健二を批判している音楽関係者へ

音楽関係者からの小沢健二さんへの批判が多く噴出している。

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今回はDJ、音楽畑の人間としての視点から、この問題について記事にしたいと思う。

まず、注目すべきなのは上記の批判をしている音楽家、音楽ジャーナリストがブラックミュージック愛好家である点である。

black lives matterで黒人差別という事が広く知れ渡ったんだけど、音楽業界、主にヒップホップ、R&B、ハウス、ファンク、ソウル、レゲエ、ジャズなどのダンスミュージック界隈というのは全く逆で、黒人音楽は最もリスペクトされる対象なのである。音楽を"黒い"と評価するのは最大の賛辞として使われる。

しかし、この黒人文化神聖化が最も音楽界にとって今回問い直すべき問題なのではないだろうか?

小沢健二さんは、black lives matterに対して、レイシズムの日本語訳とは?

人種差別=✖️、人種主義=◯

だと言っているんですね。

これに関しては前回の記事で詳しく書きましたので、そっちを見てください。

モチダヨウヘイさんの記事は専門家の視点からもっと専門的に書かれています。

この人種は存在しない論は、黒人という人種がいて、素晴らしいカルチャーを作っている。という概念が崩れさる。

日本の音楽関係者達、特にブラックミュージック愛好家達は黒人文化を神聖視するあまり、この"人種なんていうのは似非科学論"というのを信じたくないのではないだろうか?

小沢健二さんの主張を簡単に要約すると「彼らも私達と変わらない人間だ」という事なのだろう。黒人文化を神聖視してる人間からすると、これが苛立つ訳だ。

これの何が問題か?というと、逆差別を生むんですね。「黒人なのにラップ下手だね」だとか「黒人なのに足遅いよ」だとか。

別のマイノリティの逆差別構造に例えると「ゲイなのに芸術センス無いね」だとか「女性なのに繊細でなく雑」だとか。

黒人文化という概念を崇拝してblack lives matterをサポートするのは、黒人至上主義だとか突っ込まれたり、巡り巡ってアフリカ系アメリカンの人達を苦しめる結果になるのではないか?と思っている。

モータウンという殿堂的な黒人音楽レーベルがある。黒人による黒人の為の音楽レーベルとして、白人にも受け入れられるサウンドの先駆者となったレーベルである。

このモータウンサウンドと呼ばれる音楽は当時黒人が作ったと宣伝されていたが、実は白人のスタジオミュージシャンによって支えられていたという事実が発覚している。

この事にガッカリする人もいるだろうけど、碧ちゃんは本当に人種という概念を超えて作られていたんだな。と思って好きな逸話ですね。

クラフトワークがリズム&ブルースが好きで、それを元にテクノが作られた。それをアフリカ・バンバータがファンキーだ!と言った。って逸話も好き。

ディアンジェロのvoodoo作成時にビートルズのサージェントペパーズやビーチボーイズのペットサウンズ、つまりロックの集大成的作品を参考にして、それのファンク版をやろうって作成されたって話も好きですね。

最近では、フランク・オーシャンは「ビートルズ、ビーチボーイズに影響された」と言っています。

白人が黒人の音楽を搾取していたという歴史を逆転してユニークな発想になっています。

碧ちゃんは、本当に好きな音楽って人種とかって垣根を超えて作られたものに無意識に惹かれてたなと。

そりゃ、私だって一時期はディアンジェロのコンサート行って「身も心も黒人になった!」とか絶叫するくらい黒人音楽という概念に夢中になってた時期もありますよ。でも、やっぱこれは違うんじゃないか?と最近は思っています。

音楽界も黒人文化崇拝的な事象からアップデートする時期なのかと思います。

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