シティポップとは、なんだったのか
シティポップについて、みんないろいろ混乱してるので、私のシティポップ体験記を記していこうと思う。
どことなく、21世紀初頭に80年代リバイバルが来そうだな〜って感じがしてた頃、2001年にダフトパンクの「ONE MORE TIME」がリリースされる。
この曲は大ヒットしてテレビのCMとか街中とかいたるところで聴かれるようになる。
オートチューン化されたヴォーカルは、トークボックスやヴォコーダーを彷彿とさせるものであり、サウンドもエレクトロ、イタロディスコなど大衆音楽と機械が融合した最初の時代、80sをかなり意識させてくれた曲であった。
この後、徐々に80年代のサウンド、ファッションなど80sリバイバルの時代へと入る。
オートチューン化されたラップや歌は、誰もが使う手法となって後の時代への影響を与えた。
常にリバイバルというのは、そのまま昔のモノが流行るのではなく、少しの誤解や新解釈を経て変化して再登場するモノである。
日本では横浜のDJミスターメロディさんが2004年に80sのシティポップを集めた「City Pop Mix」をリリースする。
これが後のシティポップの指標となる。
まだ、90年代の残り香がある00年代初頭、本格派洋楽の渋谷系の影響がある中、それまでちょっとダサいイメージだったシティポップが、ソウル、ファンクのサウンドに80年代の日本っぽい哀愁のあるメロディが乗っているのが、やけに新鮮に聴こえた。
ミスターメロディさんは、2002年から、やけのはらさん、タカラダミチノブさんと3人で横浜の長者町の今は無きMOVEというクラブで「ミスターメロディ」というパーティを始めている。ここがシティポップブームの震源地になる。
碧ちゃんが上京してきたのは2010年くらいなので、それまでの現場の事はよく分からないので、それまでの事は当事者に聞いてください。
私は上京する前に好きなアーティストが、名門ヒップホップレーベル、ストーンズスロウから出してるDAM FUNKというアーティストと、ONRAというフランスのビートメイカーであった。
DAM FUNKはブギーファンクと呼ばれる80sのファンクを追求している人で、都会的でスタイリッシュなファンクネスが気に入っていた。
ONRAもヒップホップマナーの太いビートにブギーファンクのネタが被さるのが新鮮で同時代性を感じていた。
それとレコード屋で見つけた日本のLUVRAW & BTBというアーティストの「ON THE WAY DOWN」の7インチが気になっていた。
上京して真っ先に行ったのがストーンズスロウのDAM FUNKが出演するパーティである。DAM FUNKの前座にトークボックスを主体とする日本のアーティストが出ていて、それが気になっていた。後で調べたらそれがあの7インチのLUVRAW & BTBであったのである。
インターネットでLUVRAW & BTBを検索すると、江ノ島オッパーラっていう店がよく出てくる。小田急沿線に住んでたので、めちゃくちゃ気になって行ってみた。その頃、オッパーラでは上記のDJミスターメロディさん、LUVRAWさん、Dorianさん、やけのはらさん等が、水曜日に入場料フリーで女性はカクテル半額などという、今では考えられない豪華なメンツでパーティをやっていて足繁く通った。
オッパーラから見える江ノ島の風景、海、サーファー、アーバンメロウなサウンドで、全く気にかけてなかった湘南というものを五感全てで刺激されて、これがサザンやユーミンの歌詞で出てくるあの湘南か!と衝撃を受けた。
この頃にLUVRAWさんBTBさんミスターメロディさんが所属するPAN PACIFIC PLAYA(通称PPP)というクルーを知る。
PPPのパーティはLUVRAW & BTBや一十三十一さんのライブでウットリ恋をしたような気分に浸っていると、脳さん、kesさんの、なんとも形容しがたいハードコアゲットーテクノを浴びせられる。これが、横浜のみなとみらいの綺麗な夜景と、裏に行くと野毛や関内のドヤ街が同居している横浜のあの感じを思わせる。何が飛び出してくるか分からない。私にとって最高のパーティであった。最高に洒落た大人が本気で遊んでる感じが、パーティとはこれなんだ!と深く染み込んだ。
そして、LUVRAW & BTBとONRAが合同リリースパーティを代官山ユニットでする。ONRAが山下達郎をエディットしてかけて大盛り上がりしたのを覚えてる。
一方、インターネットでは友達のロコにゃん、coffee and tvくん等が盛んに日本のシティポップをエディットしていて、それで「たかしくんレコーズ」というネットレーベルを知る。
その、「たかしくんレコーズ」の1人osamu ansaiくんを知る。osamu ansaiのライブを初めて見た時、ONRAの手法でシティポップをビートにしてオートチューンをかけて歌っていた。osamu ansaiくんの音源は、今は本人の意向なのかインターネット上にはあまり無い。
そして、私碧ちゃんも、noppalさんというDAM FUNKをビートジャックしていたフィメールラッパーさんを見つけて、シティポップをビートにした曲を提供している。
この曲をLUVRAWさんに聴いてもらってLUVRAWさんが気に入ってLUVRAWさんプロデュースで、ミスターメロディさん、Dorianさん、ビデオテープミュージックさん、osamu ansaiさんのメンツでnoppalさんがアルバム出した事は誇らしい思い出だ。
その辺の影響もあってか、インターネットにセイントペプシ、MACROSS 82-99、韓国のナイトテンポさん、インドネシアのミッドナイトランナーズといった海外のトラックメーカー勢もシティポップをリミックスしてる作品で参入してきた。
海外のトラックメーカーのリミックスはフィルターを多用してグルーヴを作るダフトパンクのあの手法でシティポップを料理してるのが特徴で面白かった。
そんな中、PPPのパーティでコスタデパルマというシティポップのバンドをやってるというメンバーに会った。
コスタデパルマのメンバーに話を聞くと、「Especiaというアイドルグループでシティポップをやろうと思ってる」と言っていた。Especiaはシティポップ界隈で瞬く間に話題になった。コスタデパルマ、LUVRAWさん、DJミスターメロディ、シークレットゲストEspeciaのメンバーでオッパーラで行われた湘南ナイトメロウというパーティは、シティポップが最高の瞬間であった。ミスターメロディさんのDJで踊るEspeciaの女の子達は今でも鮮明に覚えてる。
LUVRAW & BTBは休止して、Especiaも解散してしまったが、世間のシティポップブームはこれくらいから始まったのだと思う。
以上が私の体験記です。
私のは主に横浜、湘南辺りの体験記なので、tofubeatsさんやリズムステップループス辺りの関西勢のシーンもあったので、そっちの話も聞いてみると面白いかもしれません。
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