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スズキさん家の音楽部屋 #0~音楽的自己紹介の巻~

この記事にたどり着いてしまった皆さま…ようこそお越しくださいました!家主のスズキと申します!

ここは40過ぎのおっちゃんが音楽について、くどくど語る音楽部屋。主に1980年代終盤~1990年代に触れた音楽について、思い出やレビューを書きたいと思います。

これから、いろいろな楽曲やアーティストについて書きたいと思いますが、今回は第0回として、音楽的にどんなものに触れてきたのかについて、自己紹介代わりに時系列で書きたいと思います!

どうぞ最後までお付き合いください!


1:幼少~小学校まで(フュージョン×アニメソング?)

1981年、赤ベコ県の田舎町に生まれました。6歳離れた姉との2人きょうだいの家庭でした。実は音楽を語るうえで、この姉が非常に重要な存在になるんです…。

姉はYAMAHAのエレクトーン教室に通っていて、自宅ではいつも姉のエレクトーン練習を後ろで聞いている弟でした。ちなみに、後に自分も同じ教室に通うのですが…三歳児クラスから本番のエレクトーンクラスに進級したものの、「私語がうるさい!」ということでクビになるという前代未聞の伝説を作りました(笑)。

で、このエレクトーン。1980年代に少し上のクラスでは課題曲にジャズ・フュージョンの楽曲が使われていたんですね!

そのフュージョンアーティストの中で、頻繁に課題曲になったのが、T-SQUAREとカシオペアという日本が誇る2大フュージョンバンドでした。半ば毎日フュージョン漬けだったおかげで、小学校高学年にはインスト曲耐性が身につきました(笑)。

次にアニメソングですが、これもまた姉の影響です…。シティーハンターでTM NETWORKと出会い、ドラゴンボール(Z含む)で影山ヒロノブさんと出会い、さらに小5の時にドハマリした新世紀GPXサイバーフォーミュラで作品のBGMをすっかり気に入り、大谷幸さんを知るなど、オタクになる素質十分な育ち方をしました…。これが後に大きなターニングポイントになります(笑)。

2:中学校(J-POP、そして運命の出会い)

中学生になり、いよいよ周りの同世代も音楽に触れるようになります。自分が通っていた中学校では、お昼の放送がきっかけで、いろいろなアーティストが局地的ブームを起こしました。1993年には大ヒット作「YAH YAH YAH」をきっかけに、CHAGE AND ASKAさんのアルバム『RED HILL』が大ブームとなり、カセットダビングの順番待ちができるほどでした。

1994年ごろからいよいよ小室哲哉さん(以降「小室先生」と呼ばせていただきます)のプロデュースによるTKブームが到来し、trfや安室奈美恵さんが台頭してきました。この辺は一般的なJ-POP史どおりの流行でした。

そして1995年。同級生の家に遊びに行った際、「ライブビデオを見ようぜ!」という流れに。選ばれたのは、accessのアリーナツアーのビデオ。当時accessはクイズ番組のエンディングテーマで気になって少し聞いた程度で、特に意識はしていなかったのですが…。

ビデオのオープニング曲で浅倉大介さん(以降「大ちゃん」と呼ばせていただきます)のショルダーキーボードプレイを見て、衝撃を受けました。まさに運命的な出会いです。

一気に大ちゃんのファンになると同時に、「自分もシンセサイザーで音楽をやってみたい」という思いが湧き上がりました。

ここで再び登場するのが姉です(笑)。大ちゃんにハマってしまったこと、シンセサイザーに興味があることを伝えると、姉は大量のYAMAHAシンセサイザーカタログを出してきました。楽曲を聴きながらカタログを眺めては、「高校に入ったらあれを買って曲を作って…」などと思いを馳せました。この出会いから29年。自分の中で最もリスペクトするアーティストは今も変わらず大ちゃんです。

3:高校時代(DAサウンドとラジオの向こうの憧れ?)

4x年の人生の中で、一番自由で活動力があった高校時代(笑)。音楽的には、小室先生や大ちゃんのプロデュース、ユニットといった師弟コンビのサウンドに陶酔しつつ、これだけでは周りと話が合わない懸念があったので、TVの音楽番組をハシゴしながら邦楽・洋楽のヒット曲もチェックして、少しずつ幅を広げるようにしていました。

しかしながら、事件は起こります(笑)。自分の母校は電気系の工業高校で、成績はお世辞にも良いとは言えず、やんちゃ組とオタク組が仲良く同居するという一風変わった学校でした。

小学校時代の影響もあり、アニメやゲームを楽しんでいたことからオタク組と仲良くなり、何がきっかけだったかは忘れましたが、とてもコアなアニラジというジャンルに手を出してしまったんです。そして、それは自分にとてつもない影響を及ぼしました。その時のことを思い出して、先日、備忘録的にX(旧Twitter)に投稿していました。

このラジオ沼に浸かった原因。それが声優の丹下桜さんでした。何気なく聞いていた番組で、乱暴な表現になっちゃうんですが、「何だこの萌え声の人、すごく特徴的だな」「でも、このタイプの方って実は超ベテランの方なんだろうなぁ」なんて思っていたんです。

で、とある雑誌に掲載されていたお写真を見てしまったんですね。

結果…


ビジュアルが良かった…

沼に入りましたー(笑)。音楽活動もされていたので、当時発売されている音源はすべて聴きました。

「歌うまい!!!!!」

声優さん全般的にそうなんですが、皆さん本当に歌が上手いんですよね。その中でも桜さんは、声質が特徴的でありながら、ピッチにブレがなく、伸びと清涼感が際立っていました。当時で言えば、小室先生プロデュースのtohkoさんに似た感じのボーカルでした。

さらに、当時所属されていたレーベルのKONAMIさん(キングレコードさんと協業)が非常に力を入れていて、制作陣も豪華。作曲家や編曲家に詳しい人なら「え?この人が関わってるの?」と驚くようなメンバーの楽曲を歌っていたんです。

というわけで、高校後半の1年半くらいはガチで推し活動をしていました。バイトしてお金を貯め、赤坂BLITZのライブにも参戦しました。あ、もちろんシンセ機材も購入して、自分の音楽活動もしっかりやっていましたよ!幅広い推し事があったので、ほぼバイト三昧な高校生活でした。(笑)

4:まとめと次回予告

というわけで、拙い文章ではありましたが、幼少期から高校時代までの音楽的歴史をかなり早足で振り返ってみました。まとめてみると、まぁ変なやつですね…。社会人以降も音楽の幅は広がっているんですが、次回以降のお題的に振り返りは高校時代までがちょうど良かったんです。

高校時代の場面でも少し触れましたが、いろいろ思い出した勢いで、桜さんの音源をすべて買い戻しました!!そこで、自分なりにアルバムレビューや音楽記事っぽいことをやってみたいと思ったんです。

今回は、桜さんのフルアルバム4枚とシングル限定楽曲を、このnoteでレビューしてみたいと思います!

もしかしたら、一人くらい共感してくださる方がいるかもしれない…と希望を持って頑張りたいと思います(笑)。あと、裏テーマとして、趣味の作文を作り、それをChatGPTの文章校正くんに添削してもらうことで、どのような点に気をつけて文章を書けばよいかを考える、実益を兼ねた練習もしています。

最後に、長い文章となりましたが、お付き合いいただきありがとうございました!次回も気が向いたら、おっちゃんの音楽部屋にお越しください!