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【雑記】フィルムを入れずに写真を撮る

SWITCHのVol.41 No.9に写真家さんのインタビューがあり、その中で昔「フィルムを入れずに写真を撮る」ことがあったと書かれていました。一度そうして撮ったあと、改めてフィルムを入れて訪れるのだと(ここではかなり端折っていて本意が削がれている可能性があります)。

目から鱗でした。雷に打たれたみたいな感じ。

昨今のフィルムの高騰によって、フィルムカメラで撮り続けるのに金銭的な覚悟が要るようになって久しいですが、これなら気にせず撮れるわけです。記録はできませんが、けいざいです。

では、そもそも、記録する意義とは何でしょうか。
私たちは、なんのために写真を撮るのでしょうか。

その一つは保存にあると思っています。フィルムなり、イメージセンサーなりに、レンズを通して得られた光でもってその風景や瞬間のできごとを、媒体に封じ込めることで、あとで確認できるようにすることにあると。

しかし、そのためになにか見落としている気が、カメラを始めてからずっとしていました。あとで確認できるならば、その瞬間をかけがえのないものとして自身が記憶しておく意義はそのぶん薄くなります。そんなふうに思っていたのは私だけでしょうか。

同誌ではジブリ特集が組まれており(むしろこれがメイン)、鈴木敏夫プロデューサーによる宮崎駿さんのエピソードとして「カメラ撮影はせず、情景に意識を集中して記憶に焼き付け」ていたことが語られます。そしてそれはのちに様々な記憶と複合され新しいものを生み出すことにつながります。

これはいわばインプットであり、アウトプットである撮影行為とは相反するかのように思われますが、矯めつ眇めつ情景を吟味することがアウトプットの質によい影響を及ぼしていることは言うまでもありません。わたしはそれが足りず写真を撮りすぎていたのだと気づきました。

そこで、冒頭の写真家さんのように、今度カメラにフィルムを入れずに撮ってみようと思います。気に入ったけしきがあればもう一度訪れたらいい。ファインダーの中の事象を、フィルムではなく記憶に焼き付けることで、いっそう一瞬の価値を見つめられる気がしませんか。

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