イベント報告「教えて、牧師さん!~キリスト教超入門?」#3,2022/12/17
はじめに
先日の記事でもご報告しましたが
職場の教会で、地域の方を対象にイベントを開催しました。
「教えて、牧師さん!」……ちょっと偉そうなタイトルですが(笑)
簡単に言えば
キリスト教について、聖書について
宗教について、そのほかなんでも
気になることを牧師さんに聞いてみよう!
という趣旨のイベント。
第3回目である12月の会に参加してくださったのは
地域の方をはじめ、教会の信者さんを含む5人の方。
この日から、会の前半は
テキストを使って「1年で聖書を読む」会、
後半はざっくばらんに、様々な問いが出てきました。
聖書を読む-創世記と天地創造の記述
この日はテキストに沿って
創世記1章と2章から、世界と人間の創造について
俗に「創造論」と呼ばれる聖書の箇所を読みました。
キリスト教というと「創造論」の宗教であり
その考え方は「進化論」とは相反する
非科学的な考え方であると思われる方が
少なくないかもしれません。
しかし、キリスト教といっても
聖書の読み方・聖書の記述の解釈の仕方には幅があり
その立場にも様々な違いや幅があります。
世界の成り立ちについても、
聖書に書かれている字義通り
神によって6日間で(7日目は安息)創造されたという
完全な「創造論」を信じている人たちもいれば、
それはある種、神話的な記述であり、
実際には「進化論」でいわれるようなプロセスを経て
世界が創造されていったと信じている人たちもいるのです。
また、人間の創造においても
「男から女が造られた」「男の助け手として女が造られた」
という記述があります。
これらの記述についての解釈にも幅や違いがあり、
ここで細かくはご説明しませんが、
その解釈や理解に基づいて、教会で男性が優遇されたり、
女性が差別されてきたという歴史があります。
後半の時間は主に、これらのことへの問いが出てきました。
参加者から出てきた問い
聖書を読みながら、またざっくばらんに
以下のような問いが出てきました。
聖書にはどうしてこのような
女性差別・女性蔑視的な記述があるのか。旧約聖書と新約聖書の関係性は。
イエスはそれらについてきちんと批判をしたのか。
イエスは実のところ、どのようなことを望んでいたのか。キリスト教、またキリスト教式の結婚式がもたらしたもの、
男女観というものがあるだろうか。日本の結婚文化はどうやって作られてきたのだろうか。
カルト宗教との違いについて。
教会の規約に、「退会」についての文言があるか。
聖書の中の差別とイエスについて
聖書の記述の中には
女性差別、子ども差別、障がい者差別、
民族・外国人差別などに見える記述が存在します。
それらの表現について、
解釈などによって擁護されるもありますが、
なかには紛れもない差別が存在しています。
聖書が書かれた時代には
いまのような「人権」という概念はありませんでしたから
当然といえば当然のことです。
圧倒的な男性中心の社会において、
社会におけるものごとの価値や規範は
男性たちによって決められていました。
人の尊厳もまた、男性によって決められる……
聖書が描く神、この世界を創造した神のイメージが
主に男性的であるということも(女性的な記述もあります)、
そのような社会の状況を反映しているといえるかもしれません。
参加者のある方が、
「もし犬が聖書を書いたら……」という話をしてくださいました。
もし犬が聖書を書いたら、創世記の創造の物語の中心には
犬が描かれていたのではないかと思います。
もし女性が書いたならば、女性が中心に。
子どもが書いたならば、子どもが中心に。
男性が書いたから、男性が中心に……
それゆえ、女性差別・女性蔑視的な表現が
そこに書かれていることは、不思議なことではなく、
きちんと認識され、批判されるべき事実であると思います。
イエス・キリストは、
そんな、男性中心的な当時のユダヤ人社会に生まれ、
どのような教えを解かれたでしょうか。
それは、次のような言葉に代表される
「隣人愛」の教えでした。
イエスは、聖書の個々の箇所にある差別的な記述について
一つひとつ批判をすることはありませんでした。
イエス自身を含む、聖書の時代の社会もまた、
「人権」や「差別」という概念を
人々が共有するには至っていなかった からです。
しかし、そのようななかでもイエスは、
当時の社会において小さく弱くさせられていた人々、
とりわけ病気や障がいを抱えていた人々、
女性や子どもたち、当時ユダヤ人から排斥されていた職業の人々、
外国人たちをも受け入れて、神の愛を説かれました。
このイエスの姿勢こそが、
聖書の神の愛や恩寵を表すものであると、
キリスト教は信じ、伝えているのです。
ですから聖書は、
その古い記述(旧約聖書)に遡るほどに、
イエスが説かれた新しい教え(新約聖書)に沿って
批判的に「解釈」し直されるべきであり、
また新しい教え(新約聖書)の内容でさえも、
イエスがその生き方を通して伝えられた
すべての人の命を尊ぶ神の愛と恩寵の視点、
現代の私たちの言葉でいえば「人権」の視点から、
批判的に読み直されていく必要があるのです。
キリスト教文化と日本文化
今回話題になった男性中心の社会のあり方や、
女性差別的な考え方や文化について、
宗教がそれらに影響を与えていたりするのではないか。
また、
時代によって否定されるはずの価値観を、
宗教が逆に温存してしまったりすることがある
かもしれないという話になりました。
例えば、キリスト教式の結婚式においては、
バージンロードといわれる場所を
父親がその娘とともに歩き、
父親が娘を、パートナーとなる男性に受け渡すという行為が
一般的な形として存在しています。
これは、女性が男性同士の間で受け渡されるという意味で
女性差別・女性蔑視的です。
そのような観点から、このような形で行うことが拒まれるケースも
最近では出てきたと聞いています。
しかし、この形式はそもそも
「キリスト教的」とされて作られた文化なのでしょうか。
キリスト教伝来以前の日本文化のなかには、
同様の形式は存在しなかったのでしょうか。
他の宗教や、他の民族においてはどうなのでしょうか。
非常に興味深いものです。
いずれにしても、社会の価値観を反映する文化は、
時代のなかで批判的に点検され、
変化していってよい、当然変化すべきものであると思います。
また逆に
キリスト教が日本文化から影響を受けたものもたくさんあります。
そのひとつが、信者の「退会」とも関わるもので
「教会籍」といわれる、日本の戸籍制度をもとにした文化です。
キリスト教会には基本的に「退会できない」という規約はありません。
しかし、一度入信・入会すると、「教会籍」というものが作られ、
この「籍」は、国が定める戸籍と同様、破棄することができません。
転居等の事情によって教会を異動するとき(転会といいます)には、
この「教会籍」を送る、「送籍」という手続きを取りますが、
実際には教会への申し出がないままに
教会に来なくなるということもあります。
しかし、それでも教会で作られた「教会籍」は破棄されません。
つまり、教会に行かなくなる/来なくなることは自由ですが、
そうなったとしても、たとえ音信不通になったとしても、
(その後、仮にその人が亡くなったとしてさえも)
教会にはその人の「教会籍」が残るのです。
これは教会にとってもなかなかに厄介な文化で、
現在多くの教会で「教会籍」だけが残った会員・メンバーが存在し、
教会の決めごとをする「総会」などの際に不都合が生じています。
(そのような会員・メンバーも含めると、欠席者が多くなってしまい
総会が成立しないことがある)
この「教会籍」という文化についても、
現代の教会の実情に基づいて、見直されるべきことがらであると思います。
おわりに
今回も、キリスト教に馴染みのないという皆さんからの問いによって、
様々な視点が与えられた会でした。
「1年で聖書を読む」会については特に、
イエス・キリストの教えを読む前に
旧約から読むことの難しさも感じさせられました。
(「キリスト教の教えはこんなに差別的なのか?」と思ってしまう)
来年もまた、皆さんと一緒に考え続けられることを楽しみにしています。
「教えて、牧師さん!」次回の開催については
SNS、ホームページをご確認ください。
https://twitter.com/fujiminobc
https://www.fujibapchurch.com/
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