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美容院の予約を済ませ、週末に髪を切って染めることになった。三年の後期という大学デビューには一番向いていない時期にわざわざ髪を染めることになるのだが、別に特段の事情がある訳ではない。むしろ、一切の理由なしに何か行動を取れるようになることが今は必要だと思う。
髪を染めたことがないとか恋人がいたことがないとか何でもよいけど、そういった何かしらの欠如を自分の中に抱え込んでいると、いつしか自分自身のあらゆる問題をその空白に投げ込んでいくようになってしまう。そして最後には、それが埋まったときにすべて解決するとすら信じ込んでしまうのだから厄介なものだ。救済──それにしても大袈裟な表現だ──とは何か大切なものが一つだけ欠けている者に対して訪れるものであり、私のようにすべてが少しづつ人より劣っている人間には無縁のものだ。だから何だってやってみるべきだ。

夜に開催するはずだった読書会は人が集まらなかったので中止となり、予定が空いてやることがなくなったのでそのまま寮に帰った。門をくぐって外から自分の部屋の窓を眺めたとき、急に吐き気を伴う眩暈に襲われた。それはともすれば頭上の夜空に向けて落下していきそうになるほどの重力の逆流であり、要するに自分がこれまで積み重ねてきた仕事がすべて無に帰してしまうことへの恐怖の感覚だった。自分が努力だと思っていたものが実はただの無益な苦しみに過ぎなかったらどうしようという、という強烈な不安だった。だがそれは数分すると収まり、今は自分でも信じられないほど穏やかな心持で日記を書いている。

〈眠り〉は、土台としての場所との関係を復元する。横たわり、片隅に身を丸めて眠るとき、私たちはひとつの場所に身を委ねる──そしてこの場所が、土台として私たちの避難所となる。そのとき、存在するという私たちの営みはただ休むことだけになる。[…]この眠りによって存在は、破滅することなく中断されるのだ。

レヴィナス『実存から実存者へ』pp115~116

眠れない夜が来るたびにこの記述を思い出すのだが、私が求めているのはこの「存在の中断」である。といってもそれは死などとは無関係で、ただこうしてどうでもよいことを捲し立てている自分の語りを中断してくれる何かが私には必要なのだ。私にとって〈ある〉ことの苦痛とは耐えず自分の内的独白を聞き続けなければならないことであり(これは無論レヴィナスとは全く異なるが)、そこから脱出するためには他の誰かの声が闖入してこなければならない。そしていくら待ち続けてもそれが一向にやってこないときには、独白は力づくででも中断しようとしなければ永遠に続いていってしまう。だからここで今日の日記を終わる。




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