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お前はよくやってるよ。

567渦になってからしんどくなったり、漠然とした焦りや苦しさがあって、一度回復してもまた落ち込んで、という繰り返しが躁鬱ぽくなって。
メンタルクリニックではそういったことを周りに話せない環境が前提に良くないとされたため、一度もうタガが外れてもいいから感情的になった己の気持ちを周りに吐露しちゃおう! って感じで暴露しまくってたりします。その節はお世話になっております。

だけどそれとはまた別に、不安症みたいな、漠然とした「本当に自分はこのままでいいのか?」「どうしてこんなに自分はダメなんだろうか?」「なぜ周りが出来ていることが成し遂げないのだろうか?」という恐怖心がじわりと迫るのだけは、治らないでいた。

これが治ってきたかもな~って思ったのは、とりあえずベッドの位置変えてよく眠れるようになったから。

一番この症状ひどかった時期は死ぬほど暑くて夜中に何度も目が覚めてこれはまた病んできてしまったのでは……と落ち込み負のループに入っていたが、風水的にベッドの位置がおかしく且つエアコンの設定温度を変更したらすっかり7時間睡眠に戻れました。
人間寝れないと病むってこういう事だったんだなと再度理解した。寝れない人は寝てほしい。眠剤に頼るのは罪悪感感じるかもしれないが寝れない方が問題なのだと思ってほしい。そんなの後で眠剤の量減らせるようにゆっくりしていけばいい。

よく眠れるようになってからやめたのは、いわゆる『比較』という事から距離を置くようにした。

私はこれはもう癖というか昔からそうなんだけど、「あの人はすごい」「この人はすごい」って輝いてる人を見つけてはそれになりたい! と走り出してしまうことがある。

これはポジティブに思えるが、どうやら周りには相当頑張りすぎと見られていたらしい。
やれても程々ぐらいがベストだろうな、と思えるようになった。

でも病んでる時は本当にひどい話だけど、自分より不幸な人と比べて『ああ自分はここまでじゃない』ってホッとしていた時があった。

なんでこんな呪いのような、負を生む事が出来ていたのか、距離を置くよう念頭に思い始めた今は怖い。
あともう少しここにいたら、連鎖を生む立場になっていただろうなと思うとぞっとしてしまった。
たとえそれが偽善だとか、詭弁だとか、本心はもともとそう思ってるんだろうとかあったとしても、私自身はそう思う自分が怖くなってしまったのだ。

たまたま、幸せから不幸なことがあり、だけど今は幸せになるために頑張ってるエッセイ著者を検索したら、その人を追う掲示板がヒットしてしまった。
昔そういったところで嫌なものを見てしまった経験があるにも関わらず私は覗いてしまった。
なんというか、罵詈雑言とまでは言わないが、皆がこれでもかと己の『正義の物差し』を振り回す場所だった。

こいつは〇〇歳になってもこんなことを考えてるから不幸になるんだ。

こんなに人生が失敗し続けてるのは得てしてこいつの性格が悪いからだ。

こういったエッセイで己の人生を切り売りしているやつには、真っ当なことなど考えられないだろう。

当初それを読んだ私は同調めいたものを感じていた。
そのエッセイ著者に「おや?」と思う点があったからなのだが、それを何倍にも膨らませて代弁をしてくれてるかのような人たちがいくつかいると感じてしまったのだ。

自身の思った違和感は間違いではなかったんだ、という事から読み進めてしまっていた。そうして、私は「ああ、こうやって人生に躓いていろんな人にいろいろ言われてる人よりかは真っ当な人生を送れてる気がする」とよくわからない感情で満たされ……

なかった。

感じはしたが、一切満たされない。

だって満たされるわけがない。自分より波乱万丈な人生送ってる人が、悪く言えば『下』と判断して見た人はコツコツとエッセイは描き続けてる。

創作を少しでもしていた人間として、その努力は絶対に見逃してはいけないものなのだ。

ここにきて、私の「この人のここはすごい」という長所探し癖が生じた。

一時的といえど下と判断した人間でさえ出来ている事がなぜ私は出来ないのか? というバグさえ生じた。

出てきたバグから逃れるように、私はストレス発散で漫画をたくさん買った。
kindle unlimitedでも読み漁った。
私にとっての逃避先はいつも漫画や本なのだ。

これが良かったのかわからないが、また別のエッセイを読み、驚いた。
例えば世界では仕事中とは言え突然寝て仕事をしない国の人もいる。
同じ日本なのに、私よりもよっぽど開放的に過ごしている人もいる。

なんじゃこりゃ!
こんなにいろんな人間がいるのに、己の正義の物差しなんてなんも参考にならないんじゃないか!?

とようやくそこで頭をどかんと打ち付けられた。

そこでようやく、やっぱりああいう掲示板やらニュースのコメントやらまとめやらは見ない方がいいなと己から遠ざかる事ができた。
TPOとか常識とかはあった方がいいとは思うが、「~だから当たり前」「~になっても出来ないなんて」とか言われても仕方ねーべや! しゃあねえしゃあねえ!

だってこんなに物差し通り実直に生きようとしてる傍らで100人以上の人数でセッ〇スしようとしてる自分の親世代がいて生活してるんだぞ。
それはさすがに御用だ案件だが、ハプニングバー的なものも存在してそこでは割と問題無しで過ごしてる人間もいるのだ。

く~~~~~~~~~~~だらねっ

て感じで脱却しました。
たまに思い出してソワソワするけど、そのたんびに読んだエッセイが脳裏を過るようになり有難いなあと思うようになりました。
あんまり行ってみたいとは思わないんだけど、こんなに好きに生きてる人たちがいるのに自分がせせこましく生きる事はないんだなと。
まあ書き込んでる人たちだって好きに生きてる結果なんだろうけど、私はどうしてもその人たちの言葉がブーメランじゃないけどまきびしみたいに己の道四方八方に散らばっててまっすぐな道しか進めなくなってた気がしたので。離れる事で心を落ち着かせることにしました。

それはそれとして

まゆゆ卒業しんどいけど大好きな名越先生との対談めっちゃ面白かったです。
名越先生は比較するのは良くも悪くもやめた方がいい、まゆゆはポジティブ的なら良い、と絶妙に意見が違うのも面白いし、私はまゆゆ側だったのが焦りすぎの原因にもなった気がするからほんと人間ほどほどで生きるのが一番楽しいのかもしれない。

自分を認めたり、本当の気持ち隠してはいけないので、やれるようにやれるだけやってみるのが一番ええと思う。
7時間寝れて朝起きて着替えて朝飯作ってお弁当用意して仕事して帰って保険調べたり動画見たりしてるお前は偉いよ。

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