ムネを描く勇気

 こんなことを言うと女性経験がないヤツだと思われそうだが、ムネを描くのには尋常じゃない勇気が要るなぁと思う。いけないことをしていると感じる心とは裏腹に、体は喜びを隠せず、少し鼻がひくつく。ペン先がブレる。もしあなたがムネを描いたことがないのなら、ぜひ一度、手元の紙に女性を描きながら、自分の心と体を観察してみてほしい。あなたが女性であれば、男性を描いてみるのでもいい。私のケースとそんなに変わらない反応がみられるのではないかと想像する。

 かくいう私が絵を描きはじめたのは今年になってからだ。家で漫画ばかり読んでいたら無性に自分でも描いてみたくなって、『あたしンち』のページを丸ごと模写してみたり(けらえいこ氏の絵がかなり巧いことは後から知った)、教本にそって漫画の練習をしたりした。

 問題はすぐに発生した。『あたしンち』の表紙を模写しはじめた時にはもう「母のムネ……他人の、それも架空の母だけど、母のムネ……」という具合で、よからぬ思考を止められず[検閲により削除されました]の4文字が頭をもたげた。教本の方はというと、大きな果実を描くときに照れがほとばしってしまい、ペンを置いたときには細身だったりブカブカなトレーナーを着ていたりする女の子だけが狂ったデッサンで紙面に佇んでいた。神様、私はムッツリでしょうか? ムッツリですか、そうですか。

 こうして自分で女性を描いてみると、エロ漫画の巨匠たちが重ねてきた鍛錬には敬服せずにいられない。細部まで描かれた一糸まとわぬキャラクターは、現実の忠実な再現か、はたまた欲望の鏡か。ヒトの野性を紙とペンで増幅させる職人の術には、この世の神秘すら詰まっている。

 ただ、実を言うと、私は行き過ぎた性表現があまり好きではない。もっと言うと、流通に一定の規制があるべきと考えるタイプの人間だ。しかし、そんな私でさえ、鼻をひくつかせながら自らの手を動かしてみる経験をへて改めて性表現について考えると、心と体の奥の奥から込み上げてくるエネルギーをひたすら紙面に注ぎ込む絵描きの想像力と獰猛さ、天性の情熱を推しはかる事さえできないことを悟り、圧倒されるしかないのだ。

 何かを理解するためには自分でやってみる必要があるとは言うが、いざやってみると、私はエロ絵のことも漫画のことも何一つわかっていなかったのではないかと思いうなだれる。そんないち読者のことなど気にも留めずに、今日も世界では神絵師たちが、自己と他者にまつわる様々なことに向き合いながらムネを描きつづけている。洞窟壁画から始まった人間の絵は、果たしてどこまで遠くに行くのだろう。

 さて、ここまで私が喋っている間に、ムネを描いてみていただけただろうか?ここで耳より情報をひとつ。『風の谷のナウシカ』の漫画版原作では、ナウシカのバストサイズが巻数を追うごとに変わっていくのだが、これについて作者の宮崎駿は「途中から描くのが恥ずかしくなったから」だと語っている。なんと私たちは、巨匠でも避けられない羞恥を束の間味わうことに成功したのだ!……なんて、少しも誇らしくはなれないが、本日を以てあなたと私は、同じ釜の恥をくった仲間。明日も絵を描いてみませんか。

文責:モラトリくん

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