さざなみ書評『ツイッター哲学 別のしかたで』
思えば、私のマンドリン生活はいつもツイッターと共にあった。大学の講義に出て、学食で昼食をとり、図書館で寝て、サークル棟で楽器を弾く。一連の行動の中でいくつツイートしていたかは分からないが、「人生の夏休み」に上気してどうしようもないことばかり呟いていたに違いない。
どんなツイートがあったかな、と思い返してみると、マンドリンを抱えたネコがサーフィンしてるクソコラや、都府楼跡の廃墟にヌマクローが立つクソコラ・・・なぜかクソコラの記憶ばかりよみがえってきた。よくも悪くもムダなことを全力でやっていた粗い青春だったなぁと感心してしまうが、忘れたいほど恥ずかしいことまで思い出してしまったので回想はこのくらいにしておこう。
四角いアイコンは丸くなり、星はハートに変わって、コメント制限機能が実装される間に私たちは大人になった。最近またツイッターにおもしろみを感じるようになったのは、日常の中では居場所を持つことのできない言葉が年齢とともに増えてきたからだろうか。広報部専属ライターとしてSNS運用のPDCAサイクルを無給で回しながらそんな感傷に浸っていたのだが、今回紹介するのは、折しも読んだちょっと謎めいた本だ。
なんでも、哲学者のツイートを編集したものらしい。乱暴にいえば、無料で読めるテキストを集めただけの商品。まとまった文章はまえがきとあとがきしかなくて、他は全部ツイートだ。
哲学についての難しそうな話をしたかと思えば、「あの曲ホント大嫌いだわ」という嗜好の表明、「自分の脳を分析的に批評せよ」という号令、さらには「完全エネルギー切れのときは、メシを腹一杯食べないのが大事という経験則」という庶民的な書き込みまでずらりとある。うすい脈絡、大きな振れ幅に翻弄されつづけるので、「何を読まされてるんだ…?」という感覚になるし、それが普通の反応だろう。
だが、そんなとりとめのなさ・無防備さがツイッターらしくてリアルだし、ページをめくってそれを読むという行為は新鮮で、現代音楽にも似た前衛性がある。「アイドルにパートナーがいることが分かったくらいで妄想が阻害されるようなファンは気合が足りん」という思わず吹き出しそうになる頑固オヤジのようなツイートや、田舎の親戚を少々エレガントにこきおろすツイートが、「脱構築」とか「概念の仮固定」とかいう言葉と共存している。「虚構入り交っているテクスト解釈はプロレスなのであって、ボクシングではない」なんて表現は、論文にはそのまま書けないだろうし、とてもツイッター的だと思う。
ベルッティの黄昏前奏曲が好きすぎるという私のツイートも、オープンキャンパスでイケメンに惚れたという高校生のツイートも、本書に収録されているツイートもすべて同じドメイン内の情報である。そんなことに思い至って、それ自体おもしろい現象だよなぁとツイッターに感心したりもする。物思いに耽りつつ最後まで読んでみたが、やっぱり素人目線では謎が多かった。哲学専攻者ならきちんとした読解も可能かもしれないが、パラパラめくって気になったところを読むくらいがちょうどよさそうだ。
まったく学びがないわけではない。例えば「ナルシシズムを徹底しろ、照れるな」という連ツイは、表現活動にしても仕事にしても何やるにしてもそうだよなぁと思わされるものである。読んだおかげで、こういう原稿で恥を捨てることに対して自覚的になることができた。文化論や美学をカバーしている著者なので、読者のみなさまにとっても、ハッとさせられるツイートがあると思う。
あるいは、よくわからないものに意味を見出そうと最後まで記事を読んでくださったあなたなら、本書から何かを感じ取ることができるかもしれない。なにより140字というツイッター特有の厳しい有限性は、マンドリンオーケストラという演奏形態に似ている。であるならば、制約の大きいフィールドで表現を追求するプラクトラム従事者には、本書を読んで論をひとつ展開できるくらいの胆力がなければならんのだ。
・・・と、詭弁を弄したところで今回はおしまい。本書まえがきが試し読み版でほとんど読めるので、興味がある方はチェックしてみてほしい。
最後に宣伝。弊社ツイッターアカウントのこれまでの投稿をまとめる「プレクトラム結社アーカイブス」が始動した。本書を購入されない方も、そちらだけでもお楽しみいただければと思う。次回はプレクトラム結社の愛される詭弁ツイートに絡めて『論より詭弁』を紹介予定だ。プレクトラ~ム!
(文責:モラトリくん)
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