さざなみ書評『未来のサイズ』
リズム感、というのは国民性があるらしい。ワルツを弾くときのぎこちなさを、経験したことはないだろうか。一方、日本人なら鈴木静一の作品をジャカジャカやるのに堪らない引力があるように、体に七五調のリズムがしみついている。例をあげてみよう
・やまのあなたの そらとおく
・やねよりたかい こいのぼり
・あなたはここで ふゆと死ぬのよ
ジャンルを問わず、時代を問わず、古来名句には七五調が多い。学校の課題に七五調で標語を作った方も多いだろう。定型の魔力。千年以上にわたり研ぎ澄まされた、この短歌というスタイルを提げて、かの有名な「サラダ記念日」の著者、俵万智が7年ぶりの新作歌集を出版した。「未来のサイズ」である。
名人に相対するのは緊張する。しかも短歌という近くて遠い(?)内容である。「リラックスしていいよ」などと言われるとかえって逆効果である。しかしこの本に関しては気にしなくて良い。「未来のサイズ」を開けてみよう。
・トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ
・子のために切りあげることなくなって一本の紐のような一日
コロナの渦中、あるいは3.11や子育ての日々に生まれた歌。日常の延長のような言葉に、身構える隙も無く、私たちはノックアウトされていく。
日常の延長、と書いて気づく。「コロナ禍」という単語が生活の中に浸透して久しい。「緊急事態宣言」などというものものしい言葉にもそれほど驚かなくなっている自分もいる。他方、政治を巡る言説は空転しているようでもあり、過熱する一言がSNSを疾走・拡散する。表現というものの根源的な不自由さを呪う前に、言葉への信頼・価値はもう十分に損なわれてしまったのかも知れない。
・死者となりむしろ近くにいる人かどんな言葉も届く春空
届かぬ言葉の重さ、切なさ。春空をのぞむ「まなざし」は死者を通して私たち読み手にも向けられているようにも感じる。
この本を開いて、一首三十一字の歌を通して私たちにも向けられた真直な、暖かい「まなざし」を感じてほしい。もう一度、言葉を紡ぐことを信じたい。きっとそう思わせてくれるだろう。
文責 タピ岡越前守