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アイドルマスターシャイニーカラーズのお話-浅倉GRAD-

 11世紀のヴァイキングが広く活動する北欧を舞台にした漫画『ヴィンランドサガ』の25巻がもうすぐ発売されます。

 『プラテネス』で有名な幸村誠の作品で、主人公トルフィンが奴隷となってからのアニメ2期も決定しています。

 本作品の大きなターニングポイントと言えば、6巻におけるクヌートの悟り、15巻でのヴィンランドの開拓決意あたりでしょうか。私は特に前者が好きで、クヌートとキリスト教の坊さんとの対話によって「愛」に対する幸村誠の哲学が語られます。

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©︎幸村誠/講談社

 モノホンのキリスト教で「愛」がどう説かれているのか私には知る由もないので、あくまで漫画家幸村誠の哲学と捉えています。そして、アイドルマスターシャイニーカラーズの浅倉透GRADにはこれに近い価値観が出てくるんですよね。

 浅倉透は幼馴染4人ユニット「ノクチル」の一人です。カリスマ性のあるアホ、脳内ジャングルジムなどと呼ばれ、一見何考えているかわからない彼女ですが、プロデュースシナリオやサポードカードコミュを見る限り内心ではかなり深い洞察をしているようです。ただ、基本的に言葉足らずな上、毎度何かしらの比喩をもって語られるため、結果的に非常に難解なキャラクターに仕上がっています。今回引用するGRADについても、正直全貌はあまりつかめていません。

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(限定煽り)

 さて浅倉GRADでは、何もしなくても持ち前のオーラ、マイペースで余裕のある雰囲気で勝手に周囲がもてはやしていく事に少しずつ疑問を覚えていきます。アイドルという生態系の中で生きている実感が持てないでいる。全てが自分の外側で生じているような感覚なのでしょう。同時に、クラスの出し物でナレーションを担当した「湿地の生態系」に惹かれていきます。

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(クラス委員長が作ったナレーション)

 他者を捕食し、自らも他者の栄養となって循環する生態系の中で生き物は生きている。これをうらやむ浅倉が以下のように表現しました。

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 これが、上述したクヌートの悟りに近いんですよね。
 生きるといっても「こなごなの命に戻る」と表現されているように、その本質は死ぬことにあります。湿地の生き物はただ生きて死ぬだけでちゃんと循環の中にある。個性も何もなく生きて死ぬ(実際には生き物なんて無茶苦茶個性豊かですが敢えて)、ただそのように在ることが、イコール命になる。「命になる」を「愛」と置き換えれば、死ぬことで動物に食われ風雨にされされこなごなになって還り愛として完成する、幸村誠の哲学になります。
 正直、一個のアイドルの語る内容ではないですよね。ファンのために頑張るだとか、トップアイドルになるとか、そういう物語とは全く視点が異なる事を考えていて、底が知れねえなと思います。

 最終的に浅倉は心臓を必死で動かすミジンコを顕微鏡で見て、食されてもいいから泥の中に沈もうと決意します。自らをミジンコと重ね合わせているんですね。しかし、一方で映像ディレクターは浅倉を次のように評します。

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 実際にはミジンコなんかではなく、意図せず周囲を喰らっていく、もっともっと上位、本物の捕食者であるというオチ。このずれが浅倉らしいですね。


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