何をこの手にしていれば人は生き続けようと思うことができるのだろう。(『pray』/赤い公園)
冒頭からハッキリさせておくが、僕は自死を否定しない。コロナだろうが職場の軋轢だろうが「俺の前に死んで欲しい」人間はたくさんいるし、世界は一向に終わる気配を見せないしならば自分でこの生を終わらせてしまうことだって魂を生きながらえさせる手段だと思うんだ。
もう綴るまいと思っていた津野米咲について書きたくなった。見るまいと思っていた「pray」のMVを見てしまったからだ。彼女がまだこの世界でギターを弾いているのであれば気にならないところの端々に津野米咲は何かのサインを送っているように見えてならない。YouTubeのコメント欄に溢れているような、
「何故振り向く」
「何故クルマから降りない」
解釈は色々だ。歌詞にあるように、
「ちょっと黒いくらいの 青い空が よく似合う」
のは誰なのか。
そんなことを考えながら音を追う。ギターの響きを拾う。あなたの書く「旅」とはなんなのか。その旅に出かけるためには何かを手放す必要があった。それが命だなんて短絡的なことは言うまい。事故なのか自死なのか、誰にも真実はわからないのは百も承知だ、ただ、
「ちょっと黒いくらいの 青い空が よく似合う」
のはあなた自身だろう。これ以上、津野米咲を的確に表現する言葉はない、絶対にない。
だから祈る。祈り続けて、あなたが手放してまで欲したものを知りたいと思うんだ。