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安全に安心して生活すること

おはようございます🌞
スピナビogaです!

今日もよろしくお願いします✨
4月に入りまして、レッカー車で運ばれた車の点検も
済み、またレッカー車で運ばれて無事に帰ってきました。

なぜ?壊れたのか・・
なぜ?不具合になったか・・とみたところ

部品の不具合だったそうです。

そりゃあんなふうに警告が入れ替わり出て
液晶画像が出ない必要なアクションが起こせないなんて

安心して運転することはできないです。

価格に関係なく・・
車は安心して乗れれば、正直なんでもいい。

私には安全以上のこだわりはないことに
気づいた瞬間でした。

誰が決めた価値?

よく言う、お金の話になった時のこと。
「価値で見ることの大切さ」

損得勘定では、成長が望めないのか
損得勘定だけでは決められない価値観

お金にブロックがあるとか
お金に対しての抵抗感、植え付けられた考え

どれもこれも正しいとか違うとかでもないと
思いますが、結局自分が身を置いた環境で教わったこと。

学校教育は、上下がわかりやすい
環境ですから、そこで思考力とか、のびのびと・・なんて
掲げた目標は目にするけど、実際は教室という環境で
自分の成績、位置や友達関係でほとんどのこと価値観が決まって
しまうような気がしてならなかった。。

そんな過去に「価値観を見出すことが難しい」
だから、人間ってめんどくさいことしてるな・・って
思った30年以上前の思春期の自分を思い出す。

たった、部品一つない車に何人もの手を借りて
レッカー車で運ばれた愛車のことで

こんなに大昔の教室内での人間関係や教育
部品って、私自身に例えられるようにも感じた。

社会構造が車全体と考えたなら、家がタイヤで
部品が自分や何かしらの見えない構造のうちにある
人々の心・・集合意識みたいなものに感じた。

見えていない部品が大切な安全の安心を司る


ハンドルやドライプ、パーキング、バッグの位置もこの部品の不備により
混乱する点滅騒ぎ

夫はバッテリーが問題ではなかったみたいだよ!
と、夫のせいにしていた私にイラついていた。

とんがった夫の言葉に、気持ちが奪われない私がいる。
「私よ、強くなったね。」
「私よ、夫のせいにした、夫は怒っているよ・・
自分のせいにされた夫は言葉が一つ一つキツイね」

ただ、現実をそのまま見てそのまま感じて
感情に落とし込まない。

以前の私なら、”私がパパのせいにしてごめんね”と即座に謝り
即座に嫌なことはなかったことのようにことを収めることを
して、自分が味わいたくないことを収束させることをしてきた。

今まで、20年以上夫と共にして車のことで何回喧嘩をしてきたか
懐かしく思った。

安全に乗れるなら、それだけでいい。
今日は夫と二人でコストコへ行って、今さらながらの会員にもなった。

その途中に、大きな追突事故でレッカー車に運ばれ、パトカーやら
交差点でかなりの凹んで壊滅した車二台を見た。

皆さんの無事を祈りながら・・
自分がこうならなかったことに、自分の目の前で
自己という形で見させられた気分だった。

自分の感情を自分だけでは何とかするのは難しいことも多い。
でもそこに、誰か同じようにフラットな視点で見てくれて
感じ分析して、焦らないように落ち着いて
余計なことは言わず、状況を正確に判断して改善の方向へ
進めてくれる人に頼る、お願いすることって必要だった。

そんな今まで経験してきた25年近くと、今も車の部品で
あれやこれやと頭の中で総動員して振り返れた。

なんか、生きているって深いいなあ~
感じ取れること、気づけるありがたみ
自分のこの性質上のことを、改めてありがたいと感じた。

疲れることも多かったけど、とてもとても
自分のことを好きになれていることに
自分を尊敬できていることにありがとう

今までの経験値!そう思えている。
苦しいことも、辛いことも、納得いかないことも
騒がずにただそのままを感じつくし
雨にも負けず、風にも負けず・・

宮沢賢治の詩を思い出しながら
部品の不具合と私以外のみんなに気づきの世界に
感謝する限りのレッカー車、部品交換の一連でした~

毎日が奇跡に感じるこんな出来事に
気分よく過ごす。心地よくを選択する。
良い事、奇跡なんて願わなくても、
安心と安全に生活する価値基準を持って

損得でもない、そこにはない
出来事や感情を受け取れるんだな~と
改めて感じています。

では、本日も素敵なアフターヌーンを
お過ごしくださいね✨




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