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「どうでもいい下着」は自尊心を低下させる

オリーブです。
今回は、直接的なPleasureとは関係ない「下着」について。

「どうでもいい下着」をずっとつけ続けてきた

私は長らく「どうでもいい下着」を身につけてきました。
「どうでもいい下着」とは、安価でデザインも最低限で、機能としての役割をギリギリ果たしているかいないか怪しい下着。ワイヤーが硬い感じだったり、生地がちょっと安っぽかったり。ショーツは、食い込みがちょっとキツかったりする。そういう下着を身につけていました。
あまり下着に興味がなかったし、消耗品だと思っていたし、正直、お金をかけるものだとは思っていませんでした。

母の影響もあるかもしれません。
とっても若い頃、私にしては珍しく「ちょっと華やかな下着」を買ったこともありました(安かったから、という理由もあります)。ところがある時、何かのきっかけで(帰省していた時でしょうか)母がその下着を見つけ、それについて咎められたことがありました。

「そんな派手なレースのついたブラジャー、はしたない」
「いやらしい下着。そんなのつけるのやめたら」

なんだか自分がすごく卑猥なことをしているような、恥ずかしいことをしているような気分になってしまい、それからはできるだけシンプルで、いやらしく見えない下着を買うようになりました。それでいて、お店で買うようなことはせず、適当に通販で試着もせずに「どうでもいい下着」を買って、着用し続けてきました。

それでも何も不都合はありませんでした。慣れとは怖いもので、ちょっとアンダーがきついブラジャーも、股部分が食い込むショーツも、履いているうちに「それが普通」になってしまうのです。

きつくて不快なのが、デフォルト。

そうなると、新たに下着を買い替えるのは、その下着が破れたり、ワイヤーが飛び出してきたり、ダメになった時。ダメになるまで着たおしていました。お金がなかったからではありません。単に、下着にお金をかける必要がないと思っていたのです。

ふらりと入ったランジェリーショップで判明した驚きの事実

そんな日々が長く続いていた頃、本当に自分の持っていた下着が軒並みダメになってしまい、新調するタイミングが訪れました。それまでの私は、激安の通販サイトで安いブラジャーを適当に買っていましたが、「明日下着がない!」ぐらいに下着が足りなくなってしまい、通販では間に合わないと思い、買いに行くことにしました。

とある商業施設にあるランジェリーショップが目に留まり、入ってみました。そこには、機能もデザインも兼ね備えた、本当に可愛くて素敵な下着がたくさん売っていました。

「試着だけでもしてみませんか?」

店員さんに声をかけられ、試着することになりました。サイズも、念のためお測りしますよ、と店員さん。手際よくメジャーをバストに回し、トップとアンダーを計測していきます。そこでなんと、自分のブラジャーのサイズが、思っていたのと全然違うサイズであることが判明したのです!

「え、私ずっと合わないサイズのブラをしてたってこと?」

そりゃ、不快なわけです。ブラジャーが食い込むのも当然です。アンダーのサイズも違っていたのですから。それでも全然、その下着をつけ続けることに対して違和感なく過ごしてきた私。その時に気づきました。私は下着に興味がなかったのではなく、自分に興味がなかったのだということに。

「どうでもいい」と感じていたのは、「自分のこと」だった

その日は、気に入ったデザインのブラジャーとセットのショーツを2組ずつ購入しました。家でもう一度つけてみたら、アンダーは痛くないし、何よりデザインが可愛い。そして体のラインが、いつもより魅力的に見えました。
自然に胸の位置を上げてくれ、自然な谷間を作ってくれ、背中のお肉も胸としてスッキリきれいに集めてくれました。
服を着るのも楽しくなりました!今までは、ブラジャーのカップの線が出たり、背中のはみ出し肉が気になって、分厚いニットやブラジャーの線が目立たない柄のトップスを着たり猫背になったりしていましたが、そんなことする必要がなくなりました。下着の線を気にせず、姿勢良くいられるようになり、自分のことを「いい感じ」と思えることが増えました。
お気に入りの下着が収納ボックスに収まっている様子もなんだかかわいくて、何度も眺めてしまいます。洗濯する時もちゃんと大事に洗うようになりました。

下着が変わり、自分のことを「なんか、いい感じ」と思えるようになってはじめて、それまで身につけていた「どうでもいい下着」のことを考えました。実は「どうでもいい下着」ではなく、私自身が、それを身につけていた自分のことを「どうでもいい」と思っていたのです。

不快でも痛くても、別に仕方ない。下着なんて、そんなもの。派手な下着はいやらしくてはしたないから、安くてシンプルなデザインでいい。安くて価値がないから、雑に扱っていいーー。

「下着」の部分を「私」に置き換えてみるとわかりやすいかもしれません。

例えば私は、誰かに傷つくことを言われても、別に仕方ないと思っていました。私なんてそんなものだから、いちいち傷ついていることを言わなくてもいいし、言うのはおこがましい。なんなら、自分から自虐的に「何を言われても、私は傷つかない」と言ってしまおう。私は"安い"から、価値がないから、雑に扱っていい。キツくて不快なのが、デフォルト。

そんなふうに、自分のことを「お金や手をかける価値のない人間」「不快なことがあってもそれが普通」と捉えていたんだなと気づいたのです。

下着を変えた。ただそれだけで、自分を大事にできるようになった気がする。

それからというもの、私は必ず、例のランジェリーショップで必ず試着をしてお気に入りのデザインの下着を買っています。そんな私の下着を、バオバブくんもよく褒めてくれます。それ自体はとっても嬉しいことです!でも、私は、バオバブくんに褒めて欲しいから、バオバブくんに自分を性的でエロティックな存在だと思って欲しいから、そういう下着を買っていたり身につけたりしているわけじゃありません。

自分が身につけていて、心地いいから。そして、自分のことを「なんかいいな」と思えるから、今日も自分の好きな下着を身につけています。

「自分のために、自分が心地よくいられる下着を選ぶ」

簡単なことだけど、私はこれがずっとできていなかった。

今は、お気に入りの下着を身につけて「今日も、なんかいい感じだな!」と自然と思える私になりました。自分にとって不快なことは、不快だと認識して、相手がいることなら、それをちゃんと伝えようとする。そういうことも、少しずつできるようになってきています。

下着を、変えただけ。
でも、自分を見る目が確かに変わった。そんな実感があります。

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