25歳までに死のうと思った理由。

今自分は24歳。誕生日まではもう半年もない。
だからこそ、四半世紀を迎える前に人生の清算をしようと思う。
後世のためにも、自分の体験を記しておくのは有益だと判断したからだ。

自分はグレーゾーンの自閉症スペクトラム。
所謂発達障害者と呼ばれる括りに属する。
ここ数年でようやく世間的にも知られてきた障害ではないかと思う。(体感で申し訳ない)
だが当事者として色々調べていくにつれて、まだまだ周知されていない、当事者同士ですら発見が絶えない、複雑で奥深い障害だということがわかってきた。

上記で障害として話しているが、実際はあまり障害という言葉が好きではない。
何となく「可哀想な人」という目で見られることが少なくない言葉であるため、二度言うが好きではない。

そもそも自分はグレーゾーンだ。障害者とも健常者とも言えない半端者である。
調子が良ければ健常者に。悪ければ障害者に。どっちだよ、なんてツッコミは自分でも何度もした。
しかし、と考える。人間なんてものはそんなものではないかと。誰にでも凸凹があり、素質があると。
けれど、とも考える。突出した素質と死ぬまで向き合って、付き合っていかなければいけないのが障害者であると。

これは自分がグレーゾーンで軽度だから言えることかもしれない。
心底自分の特性で生きづらさを感じている人からすれば冗談じゃない、と言われるかもしれない。
自分の子供が発達障害児だと言われた親御さんの癇に障るかもしれない。
けれど言わせてほしい。
その生きづらさはこれから先、何年かかるかわからないが、必ず受け入れられると信じてほしい。
周りの目を気にしなくてもいい時代が必ず来る。
多様性を認められる時代が必ず来る。

どうして一昔前まで「少し変わった人」で済んでいた人が名称がついただけでこんなにも扱いが変わるのか。
わかる。目に見えないだけにどうしていいかわからないことくらい重々承知だ。ましてや仰々しく「障害」と名前がついてしまえば、後はもう今の実状が全てだ。
けれど目が悪い人が眼鏡をかけなければ生活が難しいことと同じくらい、カジュアルな問題として考えてほしい。

例えば感覚過敏。
グレーゾーンの自分でもキツいと感じる特性のひとつだ。

防音イヤーマフやデジタル耳栓が世に出てきたのも最近ではないだろうか。
身に付けている人を目にした健常者の中には「そんな大袈裟な」と思う人もいるはずだ。
そう。感覚過敏は「そんな大袈裟な」ほどだから過敏という言葉がついている。
とりわけ聴覚過敏は生活していく中で一番と言っても過言ではないほど、耐え難いものだ。

カクテルパーティー効果という言葉を聞いたことがあるだろうか。
詳しく知りたい人は調べてみてほしい。
最近知った言葉だがざっくりと話すならば、健常者は雑音の中でも必要な音を拾える、という話だ。

目から鱗とはこのことで、自分は少し耳が良いだけで聴こえ方は他の人と同じだと思っていた自分には衝撃だった。
聴こえ方までも違うのか、とショックを受けたが、同時に通りで人の話を聞く時に集中していないと話が入ってこないわけだとも納得した。
集中力がないから色んなことが気になる、のではなく、感覚が過敏で集中したくてもできない、が正解だったのだ。学生の頃に知りたかったことのひとつだ。

だからこそ今、感覚過敏のある人達が少しでも楽に過ごせるグッズがあるのなら、進んで手に取ってほしい。
そしてどうか、感覚過敏は決して慣れることのないものだと理解してほしい。
寒ければ着込む、暑ければ脱ぐ、音量が高いと感じれば下げる、それと同じくらい当たり前のこととして理解が広まってほしい。
誰かが我慢を強いられる世界はあまりにも酷だ。

自分の見えている世界が狭いのかもしれない。
世界はもっと寛容なのかもしれない。
そう信じたい自分もいる。けれど実の親に「触れちゃいけない問題」のように扱われた自分は、そうは思えない。

ネット、特にSNSの普及によって情報供給が盛んになって尚、いや、だからこそ複雑を極めているのかもしれない。
多岐にわたる名称で括られ、真偽のわからない情報が溢れ返り、何を信じていいのかわからなくなってきている。
出生率が90万人を割る国の未来が輝かしくあるため、上げられるだけ声は上げたいと思う。

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