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岡本太郎よ、久しぶり。

学生時代のメンターは太郎

最近、久しぶりに岡本太郎の本を手にとった。
ボロボロになった「自分の中に毒を持て」だ。

まー、この本、大学生の時、何回読んだんだろう。

20歳になるまで、学校の人気者であろうとしたり、
笑いを取ることに夢中に駆け抜けてた。
でも、どこか自分の中の道化感は抜けなかった。

で、この本と出会って本当に大げさじゃなくて、
頭を殴られるような感覚があった。

本心でビシビシと伝わってくる岡本太郎の文章。
こんなこと言ってる人、テレビには当然いなかったし、
当然、自分の身の回りの大人はこんなこと言ってなかった。

本心とらえたら生きづらくなった 笑

太郎のおかげで僕は、自分の本心をとらえることが出来た。
でも、生きづらくなった。笑

本心をとらえてしまうと、
今まで、なんとなく隠してきた
つまんねーな とか、
嘘くせえな とか、
形だけ上手くやってんなー といったことが、

本当に受け付けられなくなってきた。

でも、世の中はどっちかって言うと、
それこそ、「上手くやってんなー」って
人間の方が権力を持つし、いい思いもする。

でも、太郎の影響で、
もともと器用じゃなかった僕は、
より不器用な人間になってしまったのだ。

生きづらくなったけど、後悔はない

そういう、今まで自分が本当は嫌いだなって
思っていた人たちと距離をとると、当然、孤独になる。
学生時代そこそこ人気を博したが、そんなものは、
遠い過去となり、人気のない状況が続く。

そんなときは太郎と本を通して向き合うのだ。

「こうやったら、きっとダメになるだろう。それならそのマイナスに賭けてみるんだ。つまり、自分でダメだろうと思うことをやってみること」

といった文章にしびれながら、自分を貫いていた。
もちろん自分でダメだろうと思うことなんててんで出来てない。
ただ不器用な面倒な奴だったろうけど、あの時、
ああいう自分でいれて良かったなって思っている。

本心を知ってしんどかったけど。

自分を好きになった。

僕は未だに不器用だ。
上手に生きることが出来ない。
コミュニケーションも一部の人に対してを除いて下手。

でも、僕は自分を好きになった。

太郎の文章を読んでは、勇気づけられていた
大学時代は、僕は自分が嫌いだった。

この間に何があったかと言えば、
細かい決断や、自分の選択があったのだ。

別に人気者でもないし、
コミュニケーション上手でもないし、
社会人としてまともとは決して言えない。

でも、僕は自分を好きになった。

中学生の時の僕も、大学生の時の僕も、
多分、今の僕に会ったら好きだと言うだろう。

それは太郎に勇気づけられながら、
自分の本心を大切にして生きてきたからじゃないか。

自分のコアの部分というか、
大切にしたい部分はずっと守り続けられた様に思う。
沢山傷ついたし、孤独も味わったけど。

また、太郎の本を手に取った

僕は最近、改めて太郎の本を手に取った。
なんでだろう。しばらく読んでなかった。

自分の中のコアな部分を大切にしなきゃいけない
そういう時期にきているのかもしれない。

無意味、無目的。

動きたいように動く。
それは動物としての人間に必要な要素で、
本能は「行くべき場所」を知っているのかもしれない。

久々に読む太郎の言葉は、
昔読んでいた頃とはまた違った響きを与える。
わかっていることは、この人の言葉が好きだということだ。

岡本太郎よ、久しぶり。


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