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義務筋→やりたいこと筋

やりたいことをやるはずが・・・

僕は何年も前、プロの脚本家を目指していました。
数年間脚本を書いていましたから、脚本を書くという行為を
繰り返し、繰り返し行ってきました。

しかし、、、

楽しくありませんでした。

なぜか? 
そもそも、脚本を書くという行為について、
ちっともワクワクしていませんでした。

それなのに脚本家になろうとしたのです。

それは、ひとえに社会人に自分が向いていないことを、
はっきりとわかっていたことが一つ。

もう一つは、子供の頃にマンガを描いていたから。
確かに子供の頃はマンガを描いていることが、
楽しくて、楽しくて仕方ありませんでした。

でも、脚本を書くことはちっとも楽しくありませんでした。

心に問いかけてない

では、なんで僕は脚本を書くことが楽しくなかったのでしょう。
答えは、頭で考えて動いたから。

自由になりたい
子供頃、マンガを描くの楽しかった

これは事実。その事実から、かけ合わせれば、きっと楽しいと
思ったのです。

もう一つは、プロの脚本家になったらかっこいいから。
よーするに、他人から見てかっこいい職業につきたかった。
そんなかっこ悪い理由もあります。

義務、義務、義務、あー、嫌になった

そんな、楽しくもなかった脚本ですが、
仲間にも恵まれたおかげで地味に続けていった先に、
自分でも納得できるような作品も書けるようになりました。

しかし、いわゆる脚本コンクールには、ひっかからない
箸にも棒にも掛からぬただのシロウトでした。

それでも、あれだけ可能性の狭い領域に挑戦して、
嫌々ながらも書いていった自分はちょっと褒めたい気持ちはあります。

なぜ脚本が楽しくなかったのか。
そして、多くの仕事がつまらないと思うのは、

義務でやってるからです。

そうしないと死ぬ(クビ)って思っているから、
やりたくないけど、やりたくないことを、
自分の精神力に働きかけてやっていく。

いかにも日本人っぽい価値観だなって思います。

でも、それを僕は長い期間やってきました。
で、義務、義務、義務ってやってきて出てくる言葉は、

あー、嫌になったー

です。

やりたいことは天才の特権か

「やりたいことをやれるのは、
一部の天才や才能のある人たちの特権さ」

そんな思い込みが長いこと存在していて、
実際、テレビや、音楽会社といった狭い枠の中で、
椅子取りゲームをやらないといけませんでした。

でも、このnoteもそうだけど、
それぞれがいよいよやりたいことをすぐに
やれるようになったんだ!しかも発信できる。

これ、本当にすごいことです。

インターネットは僕らに可能性を広げ、
様々な選択肢を与えてくれています。

やりたいことで、お金を稼ぐことはできるかは、
わからないけど、やりたいことを発信できるし、
これを読んでくれている様な誰かに届けることも
出来る様になりました。

僕が脚本書いていた数年前と比べても、
この数年でさらにインターネットでの表現活動が
自由になって来たと思います。

いつまでも、義務、義務、義務の日々から、
やりたいことの容積を増やしていった方が良い!
と思います。

ちっちゃなことから、まずはやる

義務をやる筋肉はずいぶんと鍛えられてきました。
しかし、やりたいことやる筋力はややというか、
結構弱いもんだと思っています。

でも、筋トレと一緒でやってりゃつくでしょ
ってものだから、やっぱり動かしていく。

キーワードは、お金につながらなくてもやる

な気がしています。
なんなら、お金かけてでもやりたいことやる。
的なことを増やしていった方が良い。

ということで、こんな文章を書きました。


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