【短編小説シリーズ】 僕等の間抜けたインタビュー 『潰れる火』
柿谷 はじめは25歳の社会人の男。百代 栄香は18歳の高校生の女。二人は共に歩く。
彼等は友人、とは違う、「ありがとう」を言い合う仲。様々な場所に行き、のんびりとした時間を過ごす。話す。話す言葉はお互いに踏み込まず、傷付けない。妙に哲学じみてて馬鹿げてる。そんな日々を切り取って、彼等は笑っている。
発端
柿谷はカキタニ、カキヤ、どっちの呼び方かは本人もあまり分かっていない。呼び方など、どうでも良いのだ。百代は柿谷を認知しているのだから。
百代は柿谷と共に出掛けている事を周りに秘密にしている。理由はない。ただ、刺激が欲しい彼女は自分を騙しているのだ。
二人共、小説に浸っていたからなのか、耽美に陶酔している。愚かにも、この関係を楽しんでいる。
二人の出会いはカフェだった。隣同士席に座り携帯端末をいじっていた。二人がふと隣の端末を横目で悪気なく見ると同じ携帯小説を読んでいた。お互いにその状況に驚き、その驚く相手を見て相手も同様だと理解した。
二人は意気投合し、携帯小説について語り合っていたが、話題が尽きた頃にはお互いの素性が気になっていた。お互いに連絡先を交換し、その後も会うようになった。
二人は会う事をお互いの素性を知る『インタビュー』と呼んだ。今となっては、それもない。ただ『インタビュー』に行こうとお互いに行きたい場所を指定して会っていた。
関係は曖昧を極めていた。彼等は寄り添ってはいるが繋がろうとはせず、お互いにお互いの距離を保っているが、立場を尊重しお互いへの理解を深めている。
二人共、適当に生きていた。余計な気力はなく、ただ二人はお互いの行きたい所に行き、漂流していった。
潰れる火
夏の星の下、二人は焚き火の前に座りココアを飲んでいる。蒸気が冷えた頬に当たり、温まると同時に冷めていく。澄んだ空を遮るものは少なく、ただ淡い黒のみが川の煌めきを彩っていた。
「川の近くに来たは良いものの、なんか遠くに行く気にはなれないね」
百代の背中は丸く、早くも冬の訪れを感じる寒さに身じろぎをしている。防寒ジャンパーの擦れる音が軽く弾ける炭に混ざる。
「あとで釣りでもしようよ」
「ここって魚釣れるの?」
「釣れるよ。そういうキャンプ場を選んだ」
「流石頼れるね。柿谷君」
「する事ないと飽きちゃうでしょ」
「まぁね」
「僕達のテントも見える場所だから、荷物軽くまとめたらすぐ行けるよ」
「今はまだ良いかな。ココア美味しいし」
「甘さが沁みるね」
「歯に?」
「……心に」
柿谷の誘い笑いは森の何処かで鳴いている鳥のさえずりに似ていた。
「バーベキューって美味しいけどさ、洗うの大変だよね」
「うーん、思ったよりも大変だった。僕もうちょい早く終わると思ってたよ」
「手伝ってくれてありがとう」
「あれだよね、えーちゃんは今の子にしては珍しいよね」
「え〜?なに今の子って」
「すごい良い子じゃない?お礼もしっかり言うしさ」
「今の子って言い方好きじゃないな。なんなら柿谷君だって今の子じゃないの?」
「おじさんだよ僕は」
「私からすればまだ子供って感じ」
「え、それはやだな」
百代の笑いは寒さで縮こまっている。
「私は柿谷君の前では良い子以外でもいたいかな」
含みのある言葉がじわじわと柿谷の額を滲ませる。
「えっと、それは……」
「良い子ってだけじゃインタビューつまらないでしょ?」
「あ〜まぁそれはそうか」
「インタビューねぇ」
柿谷は百代がココアを飲む姿を視界に入れつつ、レジャーシートの隅が捲れているのを眺めていた。
「僕の中でのインタビューのイメージってさ、なんか聞き手と話し手みたいに役割があると思うんだ」
「うん、あるねぇ」
「僕もえーちゃんも話したがりでしょ?」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
風が強めに吹き、火の粉が大きく昇る。
「私はこの人はこれ〜、みたいに決めつけるやつ。楽だと思うけどしたくない」
百代の柿谷の様子を見るが、頷く様子はなくただ火を眺めていた。
「全員が全員にそうしたい訳じゃないけど、私はさ、ほら、……ね」
「うん、言いたい事は分かる」
「……高校の頃に付き合ってた元彼に再会したの」
焚き火の前に座ってから柿谷と百代の目が初めて合った。
「付き合ってた当時は、彼の事もっと知りたいな、理解したいなって思ってたんだけど、なんかさ……」
百代の濁した言葉を前にしても柿谷は聴く姿勢をやめなかった。薪が弾け、夜が動く。
「『好き』って言われたから、そうしなきゃいけないんじゃないかって思ってたのかも」
「……はぁ」
柿谷の漏れた息を呆れた反応と感じた百代は柿谷の顔を恐る恐る覗くが、柿谷はにこやかにココアと向き合っていた。
「変、かな?」
「変じゃないよ」
柿谷の返答は早かった。当然のことのように、百代の気持ちを受け入れていた。
「えーちゃんは、いやえーちゃんに限った事じゃないかもしれないけど、なんか、分からないことを怖がってるよね」
「……うん」
「僕らはさ、人の心が読めるってマジックに惹かれるみたいに、どこかで人の心を知りたいって思ってるんだよ。それこそ、好きな人ならね」
柿谷はトングを持ち、焚き火の薪をずらす。火の粉の束が舞い、炎の輪郭が大きく揺らぐ。
「分からないもんだよ。人の事なんて」
百代はその言葉から目を背けていた事に気付いた。どこかで自分を騙して理解したつもりでいた。柿谷の気持ちを分かろうとした事が、あっただろうか。特別な関係であるはずなのに、他の人と変わらない取り繕いが増えたのは何故だろうか。
「それでも、僕らは分かりたいんだよね。分からないってことが分かりきってるのにさ」
「……そうだね」
「そう。……そういえば、えーちゃんはなんでその話をしたんだっけ」
「あ、えーっと……」
焚き火の側にいると、目がよく乾く。百代は誤魔化すようにはにかんで、柿谷の顔を見られずにいた。
「忘れちゃった」
「なんだよそれぇ」
「ごめんごめん」
「まぁ、うーん、僕はさ、えーちゃんとは仲良いと思ってるんだけど」
「……うん」
「え、違う?違ったらごめん」
「いや仲良いよ。じゃなかったらさっさと寝てる」
「よかった。……でね?それでもえーちゃんのこともっと知りたいかって言ったら、完全にそうだ、とは言えないんだ」
「……インタビューって知る為のものでしょ?」
「そうなんだけど、いやなんだろうな……知ろうとし続けているから、時々、お互いにね?隠してるものがあるって事が分かっちゃう時がある」
「私が隠してる事があるっていうのが嫌?」
「いやそうじゃない。そこでさっきのに戻るんだ。僕は、えーちゃんのことは分からないけど、分かろうとする。でももしそれができちゃったら……だから、分かっちゃったら。みんな傷付いちゃうんじゃないかなって」
「それは……変だよ」
「変か、まぁそうだよね。矛盾してる」
「なんか、認めたくないな。本当にそうだとしても」
「あくまで、僕の考えだからね」
「そうだよね、柿谷君の、考えだね」
焚き火が弱まっている。灰の山が炎に紛れて微かに見える。
「僕は、えーちゃんと傷付こうとして会ってるわけじゃないってのは理解してる」
「……なにそれ、じゃあ私となんで会ってるの?」
「……楽しいから」
「そう思ってるのに、ずっと私達の関係をインタビューって言ってたの?」
柿谷は俯いたまま、握ったままでいたトングを置いた。
「柿谷君は、私なんかよりもっと他の人に興味持った方がいいよ」
「……言うねぇ」
「ごめん、言い過ぎた」
柿谷は椅子から立ち、空になったマグカップを置いた。
「いや、ごもっともだ」
「え?」
「えーちゃんに入れ込み過ぎてた。僕ら、ただの聞き手と話し手だもんね」
百代は柿谷が自分の元から離れていく事を強く感じた。外気が一気に身体の芯に流れてくる。
「そういう事は言ってない」
「じゃあ、えーちゃんはどう思ってるの?」
「それは、」
沈黙。百代にとって、柿谷の言葉を待っている姿勢に宿る優しさが、ただただ痛かった。
「それ、預かるよ」
柿谷は百代の両手で包んでいた空のマグカップを指差した。
「あ、ありがとう」
差し出したマグカップは細かく震えていた。柿谷は百代の俯いた顔を見るが、自分の目が百代を苦しめている事に気付いた。返答は得られない。お互いに関係性に疑問を持っている。このままでは離散してしまう事を悟った柿谷は焚き火に吸われ薄くなった空気を取り払う事にした。
「……寝る準備、しようか」
「うん」
「色々疲れちゃったなー楽しくてあっという間に夜だ」
「ずっとはしゃいでたもんね」
「うん、来てよかったよ。たまには自然もいいね」
「そうだね」
火が潰れて消えると、月の冷たさが目に触れた。
「最近さ、小説読んでないんだ」
互いの顔は見えず、瞳孔がまだ慣れぬままに柿谷はその言葉を呟いた。
「テント、先入りな。僕片付けとくから」
百代は何も言えぬまま、寝袋に潜った。