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「強迫観念が」「90年代は」言葉が不正確で古すぎるおばさんの話が、何一つ響かないわけ

「この人の話は何一つ響かないし、退屈だな」と思うことがある。

40歳以上の人と話す時に、たまにそう感じさせる人がいる。
決して悪い人ではない。しかし少し深い話になるととたんにつまらないのだ。
深い話と言っても別にウクライナ情勢を語るわけじゃない。職場の新卒社員が1ケ月で退職したとか、往年のロックバンドが再結成したがひどい曲だったとか、その程度の話題だ。

なぜこの人の話はこんなにつまらないのだろうと、考えながら話を聞いていて気づく点があった。

言葉が不正確で、文章にした時にぼやけているからだ。

たとえばある中年女性(53歳)がこんなことを言う。
「あの女性はいつも旅行ばかりしていて、強迫観念なのかな」

「強迫観念?旅行好きでしょ。病気ではないよ」
俺がそう言うとぽかーんとなってしまう。

いや分かっている。強迫観念という言葉がお洒落に流行った時代があるのだ。30年くらい前、音楽評論雑誌などでしつこいほど多用されていて、その影響でいまもサブカル界隈の中高年層が無意味に繰り返す慣用句だ。1970年前後生まれのおじさんおばさんが使う。

言葉の意味ははっきりしない。使う本人たちは何となくお洒落な気持ちで使っているだけ。せいぜい「内なる衝動で行動する」的なふわっとした意味だろう。その言葉を使うのがお洒落なのだ。

しかし本来の強迫観念とは、「その行動をやめると良くないことが起こるという思い込みで同じ行動を繰り返す精神疾患の症状」のことだ。強迫性障害ともいう。

旅行好きの人を「強迫観念」なんて言ったら、怒るに決まっている。失礼すぎる。

「自分も強迫観念で行動することがあるから」と負けずに本人は言う。

「たとえば?」

「お金がないのにスニーカーを買ってしまう」

「それ強迫観念なの」

「そう」

「ただの無駄遣いでしょ、それ」

強迫観念なんてお洒落で無意味な言葉を使わなくてもいいはずだ。単なる無駄遣いだよね。あるいは「お金の計算ができない」「物欲で思考停止になる」「無計画」「幼稚」とも言う。

「いい年してほしいスニーカーを我慢できずに買ってしまう」が正しい言い方だ。

こうやって常に言葉選びが不正確で意味が定まらない。だから話すことが徹頭徹尾、つまらなくなる。相手に伝わらないし、心に刺さらない。

似たような無意味なお洒落言葉で、「90年代」というものがある。

「90年代はこんな時代で~」

「80年代」も「2000年代」も同様だ。

考えれば誰でも分かることだが、時代を10年間で区切る意味は何もない。社会情勢や社会風俗に10年という単位はない。

「90年代はライブとかよく行く時代だった」とか本人は言うのだが、別に2024年もライブに行く人は行く。むしろ2024年の方が動員数が多いだろう。

これも言葉が不正確だからつまらないのだ。

「私は20代の頃、よくライブに行った」

それが正確な言葉だ。

もし「十年紀(ディケイド)」で物を語るのであれば、1990年代とは「1991年から2001年」の10年間を指す。でもきっと本人1990年から1999年だと思っているはずだ。
西暦0年は存在しないので、ディケイドを表現するとき西暦の末尾が常に「1」である。

このディケイド、やはり昔の音楽評論でよく使われたお洒落な言葉でしかない。
「1970年代後半のパンクムーブメント」
「1990年代のマッドチェスターのムーブメント」
そんな使い方をする。

これは歴史上の出来事や流行を後年になって時系列であらわすときにはいいが、個人的な体験をディケイドで表現すると、とたんに無意味になる。薄っぺらくなる。

1990年代というディケイドで、中年女性の個人的な体験を表現することはできない。ディケイドで時代背景を語ることはできるし、時代背景と個人的な体験をつなげることは出来たとしても、個人的体験とディケイドはリンクしない。当然ながら。

「90年代はよくライブに行った」と個人的な体験を語るから、何も響かないのだ。「20代の頃はライブに行った」と言えば相手も会話がしやすくなるのに。

言葉が不正確な人の話は、他人の感情に全く刺さらない。少なくとも優秀な人は耳を傾けてくれない。
だから年を取るほど孤独になっていく。

借り物の意味付けが弱い言葉で語る人はいつの時代もいる。
「はいどうもー」と言うユーチューバーを見るたびにゲンナリしてしまう。
「ほぼほぼ」と言うサラリーマンと会うたびに、相手にしないでおこうと思う。
「僕は〇〇は〇〇と思っていて、」という言い方の起業家気取りを見るたびに疫病神だと感じる。
全部、無意味な流行語だ。
彼らは全員、30年後も同じような言葉を使う。言葉の正確さに無頓着な人はアップデートができないからだ。元若者が昔の若者言葉を使うと、とたんに何も伝わらない。そして周囲から疎まれる中高年層になってしまう。

歴史はそうやって繰り返すわけだ。

言葉のひとつひとつを自分のオリジナルの言葉で、かつ正確に組み立てていけば、物言いが地味であっても必ず人に伝わっていく。


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