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人を疲れさせる「頭の悪い人たち」の正体


何も得るものがない時間の無駄としての会話・・・


こんな経験はありませんか?

「この人と話していると疲れる」
「この人と話していると、なんだかいらだつ」
「この人とまるで会話にならない」
「すべてを解説したり、噛み砕いて話さなければならなくて疲れる」
「帰る時に時間の無駄をした感がすごい」
「この人はいつも被害者、なんでも人のせい」

俺は知性の欠片もないポルノ業界で生きているので、こういう体験は毎日のようにあります。ほんと毎日毎日誰かにいらだつわけです。会話をしていて疲れるのです。
もういい、お前とは話したくない!と、頻繁にブチ切れそうになります。

どうしてこんなに疲れるのだろうと考えてみると、つまるところ相手の「頭の悪さ」のせいです。
言葉が悪いでしょうか。
たしかに「頭が悪い」という言い方は正しくないかもしれません。でもどう考えてみてもやはり頭が悪いという言葉で総括したくなります。

頭の悪い人と、どれだけ長く話をしても実りのあるものにはなりません。よくて「暇つぶしのだべり」です。たいていはいらだつあまり皮肉をぶつけたくなります。発言を訂正しようとしたり諭したりしても本人には響きません。そうして何時間話しても何も得るものがないので、徒労感が強いのです。

あの人たちの頭の中はどうなっているのか

頭が悪い、疲れる、と言うだけではこちらもスッキリしません。この現象を言語化をして納得しない限り、モヤモヤが残るのです。

そこでアキラ師、考えてみました。

頭が悪いと感じさせるものの正体は、次のようにまとめられると思います。

  • 感情やイメージでモノを語る

  • 論理的に物事を考えられない

  • インプットが極端に少ない

  • 優しい世界が好きだが、知らない他人を死ぬまで殴れる

  • 美談が好き

  • 常に自分は被害者

  • 他人を殴れるなら理由など必要ない

  • 共感が良いものと思い込んでいる

  • 感情と感傷に訴えられると簡単に正義マンになる

  • 語彙力が乏しい

  • 知識や感性をアップデートすることができない

  • 無知

これら全てが相互に組み合わされて表面に出てくるのが、頭が悪いという印象でしょう。Twitter(X)やYahoo!ニュースのコメント欄やYouTubeのコメント欄を見たことがある人はピンとくると思います。

ああ、あれか・・・と。

反ワクチン、Qなんとか、コロナは陰謀の人たち、コロナでトイレットペーパーを買い占めた人たち、罵詈雑言と思い込みで政治語りをし自分が支持する政治家を妄信する人たち、日本人であることに覚醒した系の人たち、ヘイトを撒き散らす人たち、他人の不倫が許せず殴り続ける人たち、ネットで見かけた不謹慎を取り締まる不謹慎警察。あの人たちを想像してみると、上記の特徴が全て当てはまります。

こういう人物のことはネット上なら見たことはあるけれど、リアルでは知らない人がほとんどだと思います。しかし世界のどこかにはいるわけです。

無知で、論理的思考はできず、共感を自分に簡単に許し、自分のムラの中の常識にしがみつき、他人をイメージで語るわりに自分がそうされると怒り狂い、常に自分以外の誰かが悪い。

そんな人になってしまう傾向として次のようなポイントがあるように思います。

  • 実家暮らし

  • 未婚独身

  • 一人暮らしの経験なし

  • 日常で接触する他人が職場の数人と家族、中学時代の同級生のみ

  • 高校時代の偏差値が50以下
    *ただし学歴は無関係

  • 無趣味、あっても浅い

  • 学生時代も社会人になってからもいじめられている

  • 新しい外的刺激がほとんどない

  • 変化を極端に恐れる

こんな特徴があると思っています。
知的水準が影響して社会的地位は低く、結果的に「ある属性」に集約できそうです。
ネットで荒らしをしたりクソリプをしたりする人がどんな人が想像することがあると思いますが、きっとそれ、さほど外れていないはずです。社会生活を満足に送れていない人達です。

あの人たちは変われる時が来るのか

頭が悪いだけならまだいいのです。そういう人だと思って周囲は我慢して付き合うことも可能です。しかし問題はそう簡単ではなく、この人たちは必ずと言っていいほどトラブルを起こします。おとなしくしてくれないのです。

それはそうでしょう。論理的に話をし、思考を深めて、ユーモアや人間らしさをエッセンスにしながらゴールに向かっていくような知的な会話ができないので、問題解決の能力は一切ありません。問題解決という社会人にとって必須のスキルがないということは、毎日感情を振り回し共感ごっこに振り回されて「心優しい被害者」になって生きるということにつながります。

「分からない」、「無理」、「信じられない」を連呼して、自分にストレスがかかると大声を出して他人をぶん殴り、自分が尊重される優しい世界が好きなのだと理想だけを周囲に押し付けるわけです。

こんな人が職場に1人いたら、それだけで大勢の社員がストレスを感じます。本人が若いならまだ良いかもしれません。君はまだ幼いんだね、と思えば済みます。しかし40代、50代の人がこの状態であれば、同僚のいらだちが募るだけです。おとなしくしていたらお馬鹿さんだと思って接してあげるのに、なぜぎゃあぎゃあ騒ぐのかと。過激なまでに幼稚なおじさん、おばさんは、存在自体がもはや暴力です。
周囲がやれることは距離を置くことだけです。しかし本人にはいじめられていると感じるはずなので、さらに大騒ぎをすることでしょう。

この人たち、特に中高年世代でこの状態になっている人は、今後変われるのでしょうか。他人が働きかけて変わることはあり得るのでしょうか。

残念ながらありません。
変われる能力があるならもっと若い頃に変わっています。そもそも平均的な能力がある人達は「社会で揉まれる」という言葉があるように、論理的とは言わないまでもトライとエラーを繰り返して、反省と改善を積み上げて自分のマインドを変革して大人になっています。これが大人になるという意味です。
このプロセスが若いころから全くないので、中高年になっても頭が悪い、幼稚だと言われてしまうのです。

たとえばこんな感じです。

会社に遅刻をしてしまったとします。

「今後遅刻をしないように気をつけてください」

そう上司に言われると、
「じゃあ課長は今までに一度も遅刻したことがないんですか?納得いかない!」

といきり立って言い返してしまう人。

あるいは

「トランプ元大統領は麻薬とか誘拐とか悪いことしそう」と突然言います。

「どんな情報ソースからそう思ったの。具体的な根拠は?」とこちらは質問します。

「だってそんな感じがする」平気でそう答えるわけです。

「そんな感じって。それ偏見では」こちらは諭します。

「自分だって私に偏見があるでしょ!トランプ支持者だからそういうことを言うんでしょ!」
といきり立って言い返します。

いやトランプ氏の支持者もなにも他国の大統領候補者でしかありません。支持する資格も国籍もありません。

このように頭が悪すぎて天然で論理のすり替えをやってしまいます。もちろん論理のすり替えなんて言葉も知りません。
無知だけならいい、しかし多くの場合それを指摘されても攻撃的になるだけなので厄介なのです。

職場でいじめられている、無視されるという人の多くはこれでしょう。周囲はこの人たちと話しても無駄で、話しても疲れるわけです。
でも「いじめられた」と被害者になっていつもいきり立っている。他人のミスをいつまでもあげつらい、上司でも同僚でも謝るまで言う。自分が納得がいかないという感情を振りかざして、他人を悪者にしてしまう。

周囲が腫れものを触るように距離を置くと、「私はみんなと仲良く和気あいあいと仕事がしたいの!」と、優しい世界を主張し出します。
そのわりに他人のことは一切尊重しないので、誰も耳を傾けてくれません。周りはこの人が仕事を辞めてくれるのを期待しています。

たぶん、変わることは出来ないでしょう。この「暴力的お花畑マインド」が固着化しているので絶対変わりません。ネットの誹謗中傷で訴えられた人たちがその後おとなしくなるかというと、全くなりません。同じことを何度も何度も繰り返します。訴えられたからと言って突然論理的思考が身につくわけでも、共感と正義の棍棒で暴力を振るう人格が消えるわけでもありません。

中には流石に生きづらさを感じる人もいるようで、本屋で自己啓発本を買って読んだりするようですが、所詮頭の悪い自己変革です。確証バイアスというか、エコーチェンバーというか、やるだけ無駄です。むしろ悪い方に強化されます。

こんな人たちがますます増えている

こういう人が配偶者だと、その後の自分の人生は確実に壊れます。人生のいい時期を棒に振ることになります。
友人にいると、いずれトラブルに巻き込まれます。不愉快な思いをすることが増えるでしょう。

しかし配偶者や友人には存在しなくても、最近はSNSなどで見ない日は全く無くなっています。絶えず誰かがけしからん、誰かが不謹慎だ、誰かが信じられないなどと見ず知らずの人をぶん殴りながら、一方では陳腐な美談に「共感」したり「賞賛」したりする人たちが山ほどいます。

その結果、ネットは子供にとても見せられない惨状になっています。ここで言う「頭の悪い人」が大挙してネットにつめかけ、他人のリプライで自分語りをしたり、誹謗中傷をしているのは否定できません。その人たちが特に集まるのが、SNSなど「弱者でも発信できる場所」なのでしょう。30年前は弱者にそんな場所はなかったはずです。
まるでゾンビのように次々現れては、誹謗中傷と罵詈雑言、共感と美談をまき散らしては目に見える世界を汚していく人たち。

あまり人を区別したり差別したりするのは好ましいことではありませんが、頭の悪い人達からは出来ることなら距離を置いた方が精神的な健康のためです。
もし離れられないときでも、一定の距離は保ち最低限の関わりにした方がいいかもしれません。


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アキラ師
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