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大晦日の孤独と希望

大晦日になると思い出す。

まだ小学校に入るか入らないかの頃、大晦日は大雪が降っていた。

1970年代の青森の田舎町では、正月のおせち料理という習慣はなく、大晦日に家族でご馳走を食べて紅白を見るのが一般的な過ごし方だったと思う。東北や北海道の風習で、「年取り膳」と呼ぶらしい。

父親は障害者だったので車の運転はできなかった。大晦日の午前中に近所のスーパーまで父親と歩いて買い物に行った。雪が積もる中、子供用のプラスチックの橇をひっぱって。その橇に買った食べ物を乗せて帰って来るのだ。
まるで笠地蔵のような光景だ。

買い物の帰り、父親が俺に橇に乗れと言う。黙って橇に乗ると父親がひっぱってくれた。雪の上をずるずると音を立て、大粒の雪が降りしきる中をゆっくりと家に向かって進んでいった。

その日の深夜、静まり返った田舎町の夜に轟音が響き渡る。深夜になってから除雪車が作業を始める音だった。まるで戦車のような轟音と地響き、スノーブレードが地面を削る金属音。布団に入っていた俺は目を覚まし、その遠くの音を聞いていた。やがてまた眠りにおちていく。

その二つの光景が俺にとっての大晦日なのだが、思い出すたびに寂しく、切なくなってしまう。
子供の頃の自分が思い描いていた人生にはならなかったし、親との関係性も複雑で大人になるまで困難を極めたままだった。高校を卒業してポルノの仕事につくと、大晦日やお正月は一人で過ごすものになった。病気を抱えていたので仕事が休みに入ると体調が悪くなり、ずっと部屋から出ないなんてことも多かった。

自分の店を持ってからは、大晦日の夜は帰る場所のない風俗嬢や男性スタッフたちを集めて家族ごっこをするようになった。買い物に行き、料理をし、テーブルでみんなでお酒を飲みながら食事をして、テレビを見たり、ゲームをしたり。そう、餅もついた。自宅でつく餅なんてみんな経験がなかったが、なんてことはない、餅つき機でやるんだ。出来た餅を切り、みんなで食べた。
家族を知らない子たちが家族の真似事をする。そこにはそれなりの、ほんの少しの居心地の良さがあったらいいなと思っていたが、本当のところはどうっだったかは分からない。

昔のスタッフが独立をし、自分の店のスタッフに同じように大晦日に年越し家族ごっこをしていると聞くと、意味はあったのかなと思う。

さて、2024年。

今年も家族ごっこをした。今年は12人が参加し、大にぎわいになった。オードブルなど出来合いのものはなるべく買わないルールにしている。家族の経験がない子ばかりなので、保守的な家族だったら経験したであろうメニューにしている。
たとえば、栗きんとんや黒豆、昆布巻、年越しそば、てんぷら、お寿司などね。あとはケーキなどお菓子を用意して、深夜までだらだら過ごす。

料理が終わったら俺は違う部屋に引っ込んでしまう。今年はこうやってブログを書いて、終わったら適当に眠る。スタッフたちもそのうち適当に床に布団を敷いて寝る。朝はお雑煮でも作る予定。

朝はみんな笑顔になっている。

毎年このルーティンだが、俺自身はいつもひどい孤独を感じてしまう。理由は分からない。あの子たちがいつも心配だという思いも原因かもしれない。この夜の仕事の儚い人間関係で、何か将来に希望を持たせることが出来るのかというと、分からない。
たかが家族ごっこでは人生など変える力はないだろうとは思う。近いうちこの世界から消えていく。いい人生になればいいが、問題を抱えて生きる子の方が多い。

それと、自分自身のことだ。自分の孤独を癒すことを忘れてしまい、もうやり方など覚えていない。最近はまるで18歳のときのあの深い孤独感が蘇ったかのようだ。
自分の孤独を癒すために何ができるんだろうと思ったが、すぐに考えるのをやめた。

きっとそれは俺が考えることではない。俺はまだ俺の役割を果たすだけなのだろう。まるで冴えない人生だが仕方ない。

少し早いけれど、2025年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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アキラ師
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