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マボロシを見せてよ、俺の人生に(2010年)

20代の記憶はなぜだか多くが抜け落ちているけれど、覚えていることが少しある。

今夜のお話は、そんな時代のこと。

20代の終わり、のちに一緒に仕事をすることになる「なつき」という女といつも一緒にいた。

なつきはまだ10代だった。

現役で大学に入ったけれど、訳があって退学したばかり。適当な事務員の仕事を見つけて働いていた。まだほんの幼い子供のような顔つきだったなつきは、だらしのない男にはまってしまい、多額の借金を背負わされとても疲れていた。

毎月の返済で月の給料が簡単に無くなってしまう。食べることすらままならない。

新しい借入で返済をする悪い循環が始まっていて、計算すると破滅までそう長い時間があるわけではなかった。電卓を叩けば、あと数か月で破綻することが分かる。

なつきは高校生の頃から俺の事務所に出入りをしている、ませた女の子だった。いつも明るく、痩せた体つき。甘ったるい声でいつも俺に話しかける美人な子。

俺がひさしぶりに電話をもらった時、なつきはかつてのような明るく甘ったるい声をしていなかった。

「アニキ、疲れてるんだよね、わたし」

名乗りもせず、突然俺にそう言った。

俺のことをアニキと呼ぶのはなつきしかいない。

「なつきか、ひさしぶりだね」

「うん」

「声が暗いね」

「あのね・・・」
なつきは自分が借金に苦しんでいることを話した。

「カネの問題か。なつき、いくら必要なの」

「1,000万円」

「分かった。俺が払う」

「いいの?アニキ」

「それ以外方法がないんだろ」

もちろん俺だって余裕があるわけじゃないけれど、その程度のお金を作ることは出来た。無論、あまり良くない稼ぎ方をして。

なつきが住んでいたアパートは解約させ、俺の部屋に住まわせることにした。俺の部屋にあるものを全て使えばいいので、手持ちの家財道具はすべて売り払って小銭に替えた。テレビも、安物の服も、クルマも、全部売り払った。
借金を完済しホッとしたのか、なつきの表情は次第に良くなっていった。

なつきは俺の仕事を手伝いたいと言った。

手伝うって何を?と俺は言った。俺の仕事の内容は知っているはずだろう。俺は反対した。そんなことはやるべきじゃない。最終手段ですらない。

「でも、誰よりもアニキの仕事をする女のパターンそのものでしょう?」となつきは言った。「アニキに助けられ、アニキに惚れて、アニキのために身体を売って」

俺は黙っていた。

「いいでしょう?」

そしてなつきは昼の仕事を辞め、ある夜から風俗嬢になった。

なつきは毎日深夜3時まで俺と仕事をした。ガラの悪い白い大きなセダンで、深夜の街を走りまわって仕事をした。そして疲れ果てて一緒にアパートに帰って来る。這うようにシャワーを浴びて(たまにシャワーも浴びずに力尽きて)、同じベッドで眠った。

なつきは俺に少しずつお金を返すと言ったが俺は断った。なつきの働きで十分に利益を稼げたからだ。風俗の仕事は一年限定という約束だったが、もう少し続けたいとなつきは言った。
そしてなつきは自分で部屋を借り、引っ越して行った。

複雑な気持ちだった。もう少し一緒にいてもいいんじゃないかと思っていたけれど、お互い、何か言いたいことを言わないまま引っ越してしまった。

そのあと、俺にはトラブルが立て続けに起きた。多額の借金を追うことになり、ほぼホームレスにまで転落した。仕事も失った。
暑い、真夏のことだった。食べることに困りパンを盗んだこともあるほどだった。

その時期に支えてくれたのは、違う店に移っていたなつきだった。

長く続く孤独と貧困の時代。なつきがいなかったらきっと、俺は餓死していたかもしれない。

なつきはその数年後、自分の会社を起業し、俺を誘ってくれた。小さな会社を2人で始めた。やはり胡散臭い夜の仕事だったが、俺を使ってくれることに感謝した。

その後また再びなつきと別れる時がやってきて、俺はまたソロとしてやっていくことになった。

いま、なつきは結婚をし子供もいる。まだ経営者として仕事をしている。もう俺と話すことも滅多にない。近所に住んでいるのでいつでも話は出来ると思うのだけど、お互い、少し避けているのかもしれない。

一緒にアパートに住んでいた若い時代のこと。

仕事終わりの明け方、部屋で俺が簡単に食事を作って2人で食べていたとき。

ビールを飲みながらなつきが言った。

「蜃気楼って知ってる?」

「知ってるよ。いや、知らないかな。詳しくは分からない。」

するとなつきが教えてくれる。

「春の季節、海の向こうに幻の楼閣が見えたり、景色が反転して二つに見えたりするの。

古代の中国では、はまぐりが吐く息が楼閣を見せているっていうロマンチックなことが言われていたらしいけど。」

「へえ。ハマグリか。」

「アニキは蜃気楼だね」

「なにそれ」

「女のはまぐりが吐く夢みたいなものの中に生きているんでしょ?」

「なんだよ、下ネタかよ」

はまぐりが吐く夢か。

全部マボロシなんだよね。

俺も、なつきも。

そう思ったけど、言わなかった。缶ビールをもう一本ずつ開けて、これを飲んだら寝ることにした。

こうして彼女でもないお前に何かをしてあげたり、一緒に眠ったりする。

こんな生活がマボロシかもねと。

ハマグリ。

そうだ、幼い頃、実の母が貝殻を洗って俺にくれたことがあった。宝物にしていつも持ち歩いていたな。耳を当てると並の音が聞こえると思い込んでいたが、何も聞こえなかった。でもそこには幻のような幸せな子供時代が見えていたけれど、何ひとつ幸せではなかった。

マボロシを見せてよ、俺の人生に。

毛布を頭まで被り、俺はすぐに眠りに落ちた。

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アキラ師
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