思いを受け止める人たち
いろんな人が、俺に、いろんなことをしてくれる。
いい年の大人になっても、
食べ物をくれたり、
仕事を回してくれたり、
具合が悪い時に薬を買ってきてくれたり、
優しい声をかけてくれたり、
いろんなことをしてもらっている。
そんなとき、俺はとても慎重に、とても丁寧に、してくれた人の「思い」を想像しようとしている。
どんな思いでこのお菓子を買ってくれたんだろうか。どんな思いでお金をくれたんだろうか、どんな思いで俺に関わり続けてくれるんだろうか。というように。
あ、きっと俺に元気になってもらいたいんだなとか、俺が困っているのを見るのが辛いんだなとか、俺に仲良くしてほしいんだなとか、いろいろなことが分かってくる。
頂いた瞬間はもちろん「ありがとうね」と言うけれど、その思いをしっかりとかみしめた時、あらためてメッセージを送ったり電話をかけたりする。
「ありがとう」とまた言うだけのこともあるし、「ありがとう、これで元気になるからまた笑顔で一緒にいてくれるかい?」と言うこともある。
弟子の女子たちには「ありがとう、もう離さないよ」と言って笑いを取ることもある。
こっちが受け止めた相手の思いを、しっかりと伝え切るように心がけている。
ところが、この思いを受け止め相手に伝え感謝する、ということが雑な人が多い。
美味しいミカンをもらったのに「ありがとう」しか言わない。もしくはそれすら言わない。それが迷惑だったなら仕方ないけれど。
聖人などめったにいない。思いがあって、それを伝えようとして何かをしてくれる。義務だけで人に親切にするなんてありえない。
恋人や夫婦、親子だったらなおさら思いがあって相手に働きかけている。
それを無視して
「あなたが私に物をくれたくて勝手にくれたんでしょ」とか
「私に何がしてほしいの?」とか
感謝よりも先にそういう言葉や感情が先に立つ人。
どれだけ荒んだ心の持ち主だと呆れてしまう。そのくせ、人からこんな悪いことをされた、という被害者意識だけは盛大でね。卑屈で、陰惨で、相手は居心地が悪くなるだろう。
被害者意識が肥大していると、誰かの思いを受け止めることが出来なくなる。
さらには「感謝なんてしなくてもいい」という謎理論を平気で語るガキになってしまう。
だから他人からもっとひどい扱いを受けるのだということに気づかない。そんな簡単なことなのに。
恋愛で、浮かれてニヤニヤするのはどんな根暗でも出来る。中学生でもするんだそんなこと。
でも関係が成熟したあとで、相手の思いを咀嚼し受け止めそれを言葉で返すのは、大人しかできない。お互いの幸せを願う、幸せな人たちしかできない。
人は恋愛の中で成長できる。
恋愛を見栄とトキメキとセックスだけで埋め尽くすと、いずれ人から嫌われるだけになる。
それがたとえセフレ関係であっても、人間関係は思いのキャッチボールでそれなりに豊かな気持ちになれるよ。