(アーカイブ)LoveRescueのためのスケッチ 『葡萄①』
トラムを降りると、低い雲に覆われた街はどこからか葡萄の香りがした。
まだ6月だというのに空気が湿って暑い。肌にまとわりつくような小雨が振り、路面電車の線路が濡れている。弟子の音羽が俺の腕に手を回して傘の中に入った。
「ここから先は少し坂道を登っていくよ」そう音羽が言い、石畳の坂道を歩き始める。もう何年も履いていた一張羅の靴が壊れたので、駅前の地下街で安物の白いスニーカーを買った。しかしサイズが合わないし石畳の上で時々滑る。パンツにも合っていない。
「そうかな、悪くないよ、似合ってる」
音羽はそう言う。
そして二人の足元を撮った。
目指していたのは、そこから500mほど坂を登ったところにある美術館。坂道は大きな木の茂みで暗く、葉っぱに溜まった雨が時折勢い良く傘に落ちてきては大きな音を立てた。
俺は38歳。人生に行き詰まっている。毎日が苦しい。
狭い石階段をゆっくり登っていった。美術館では何を展示しているのか、何も知らないまま。音羽の長い髪が傘の中で揺れていた。
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