例え話をしてはいけない時
「たとえ話」をよく理解できない人は世の中に想像以上に多い。
相手がよく分かるようにと思って例え話をするのだが、その例え話が理解できないので話が違う方向に飛んで行ってしまう。
「たとえばね・・・」から始まる文章は、受け手にとっては有難いと思って耳を傾けるものだと俺は思っていた。理解が難しいことを身近な事象に「例えて」、理解のきっかけを作ってくれるのだから。
俺は例え話を聞くのは大好きだし、その例話センスに驚くことも多い。
でもこの例え話が一定の読解力や論理的な思考が備わった人にしか通用しないのだと知ったのは、ずっと大人になってからのことだった。
最近、この記事に書かれた内容について、ある女性が全く理解できないと言うので説明をした。
ちなみにこの女性は50歳。独身。青森のものすごい田舎に住んでいて、半径10キロ圏内から出ることは年に一度あるかないか。今でもガラケーを使い、キャリアメールで連絡をしてくる。TwitterもAmazonもGoogleも知らない。名前も知らないと言う。田舎の介護施設の事務員を高校卒業してからずっとしている。趣味はレンタルDVDを借りて観ること。
例え話をするときには、もちろん相手がイメージしやすいものに例えなければならない。
だから「界隈が狭い単純作業」として牛乳配達で例えたんだが、そもそも住んでいる田舎町には牛乳宅配をする業者がいたことがないと言う。それどころか、そんな商売は「見たことがない」ので「作り話」だと思っている。
そうなると風俗店もしかりだ。青森でもさすがに風俗店くらいはあるし、従事する女性はたくさんいるだろう。でもこの女性が住んでいる田舎の実家と介護施設の職場には風俗嬢はいない。牛乳の宅配業者も来ない。
見たことがないから存在しないと考えてしまう。
存在しないことを言うのは「大げさだ~」になるのである。
こうなると、そもそも例え話としては使えない。
では何で例えればいいのかと考えたが、そもそも例え話まで考えて理解を促す話なのかと思い直した。
この人がイメージできるもので例えたところで、そもそも無関係の話だろう。そう思って、説明をすることをやめた。
何を言っても「大げさだ~」とか言われるのもしんどい。
インプットが少なすぎる人には、例え話も比喩も禁物なのだ。
例え話はその人がイメージできる範囲内の事象に限るわけで、その範囲が狭すぎたらそもそも例え話は不可能だ。
思い出してみると、俺が育った底辺うんこ社会では、例え話をする人は皆無だった。いたとしても「カッコつけたやつ」とバカにしていたと思う。
残念ながら、それが日常の会話だ。そんな原始人レベルの環境で俺も育った。
「このラーメンは魚介の出汁がよく効いているよ、最近流行りの濃厚民族系みたいな感じだね」
とか洒落て言おうものなら、
「流行りって大げさだ~」「聞いたことない~」「うそだ~」「かっこつけんな」となる。確かに。
農耕民族という言葉を知らなければ、濃厚民族なんてどこの国の人?と大真面目に思うだけ。
そもそもラーメンの味など、どうでもいいのだ。その時、うまいと思えたらいいし、その味を記憶したり経験として残したりシェアしたりするのは知的に恵まれた人がやることだ。
インプットって本当に大切だなと、田舎生まれの俺はいつも思う。例え話が無理な人と思われたら、その先、もう二度と教えてくれることはないだろう。だからその先何年も「田舎者」として無知のまま生きていくことになる。
例え話をする側も、あまりにも低いレベルにまで降りていくべきでもない。そもそも例え話にならなくなるし、誤解・誤読を招き不要なトラブルになるかもしれない。
知らなくていいことは、教えなくてもいい。
知識や思考を共有するなんて、必要がない人もいるのだと理解することも大切だよね。