名曲プレイバック 第8回 プレイバックPART2 後篇
唄: 山口 百恵
作詞: 阿木 燿子 作曲: 宇崎 竜童 編曲: 萩田 光雄
1978年(昭和53年) CBS・ソニー
「馬鹿にしないでよ」
このフレーズがまさかアイドルの曲の詞だとはそう思わないだろう。しかしこれはまさしく山口百恵の代表曲の歌詞である。「カッコいい」百恵の代名詞としてこのフレーズは今でも頻繁に取り上げられる。百恵から放たれる言葉の矢は1コーラスにつき2回。とりわけあの振り向きざまの強いまなざしとともに放たれた1番における「馬鹿にしないでよ」は男を一撃で仕留める。仕留めた瞬間に見せる流し目はどこか哀愁がある。一度目の「馬鹿にしないでよ」は車でこすられた相手に対するものであったが、この振り向きざまは昨晩の回想である。この言葉(2番では歌)を介した記憶の逆回転がプレイバックなのだ。
ヒロインは昨夜の相手を「坊や」と詰る。この男は女の気も知らず、「女は抱かれるのを待っているものだ」と思い込み、「女を気分次第で抱くだけ抱いている」エゴイストである。エゴイストでないとしたら、心に余裕がないまさしく坊やだ。年齢ではない。経験、心の余裕の問題。その男を一刀両断するように、何を教わってきたのかと問い詰める。
橋本治はその著書『二十世紀』(毎日新聞社、2001年)の中で、百恵の楽曲《横須賀ストーリー》(1976年)で描かれた女性を「恋愛相手になった男のエゴに対して、異議申し立てをする女」とした。この女性像はプレイバックにも適用できるだろう。それまで女が一歩引くような歌が多い中で、女が男に楯突く歌には新しさがあった。そしてその女を演ずるだけの技量が百恵にはあった。いや、百恵でしかこの女は演ずることができなかった。
このような歌の数々で、百恵はこの時代に生きる「自立した女性」の憧れとなった。しかし、百恵はそれに懐疑的であった。その百恵の心情は、結婚・引退という選択につながる。歌のイメージから得られる山口百恵と、実像の山口百恵は違った。まさしく、我々は歌によって創造された偶像を見ていた。
偶像しか見えていない世間の人々に対して、もしかしたら百恵はこう思っていたのかもしれない。
「馬鹿にしないでよ」