墓標考察会まとめ

2020年7月22日に尼崎toraで梨本ういの『墓標』について話し合ったり悲鳴を上げたり感嘆したりした内容をまとめました。

誰が発言したことなのか念のため濁しとこ、って思って匿名性を保つために一人称で(私一人の考察っぽく)書いてますが、
である調=みんなの考察
ですます調=私個人の感想
で分けて書いたつもりです…一応…いや途中ちょっとうまく分けられてないかも…話し言葉っぽいとこも私個人の意見だな…。

考察というかほぼ自分のための備忘録になってしまった。参加者にしか伝わらない部分もあるかも…だけどせっかく書いたから公開しておくね…すごい長くなっちゃった。限りなく梨本うい好きな人向け。『墓標』その他諸々のネタバレ(?)あります。これ読んでくれてる人で墓標未視聴の人間いないだろ、と思いますが。


■『墓標』について

墓=壊れたかった壊れる前を偲ぶ墓
もう死んでもいいやと思っていた頃の曲たち。

標=壊れてしまって壊れないための標
狂っていく過程(いつ死んでもいい自分が、死にたくないと思っていく過程?)

※2019年12月17日のtwitterでの発言と2019年12月28日のニコ生より。

当時の自分には戻れない(その頃と同じ気持ちで曲を作ることはできない)から墓、なのだとしたら、戻れないことへの諦めのほかに、決別の意も含まれているのでは。
標のほうは前向きに進んでいるようにも捉えられるが、梨本さんが歌詞でよく使う「狂う」「壊れる」というのが、「正常に戻る(死にたくない、生きたいと思うようになる)こと」だとしたら、標の「狂っていく過程」とは、「普通の人間に戻っていく過程」ということになる。そしてそれは梨本さんにとって必ずしも「幸せなこと」ではないように感じる。

墓の収録曲は2019年2月の時点でいくつか違っていて(『インドアストーカーラブポップ』や『生の目覚め』が入っていた。)、標は元々「しるべ」ではなく「しるし」だった。
しるし:他と紛れないように見分けるための心覚えとするもの。目印。
しるべ:道案内。先導。知るたより。みちびき。てびき。
これらは、『墓標』という作品の方向性を決めていく中で変えていった部分なのかな、と思う。

■墓標は元々カセットでも出す予定だった。



カセットテープにはA面とB面が存在して、A面を聞き終わったらひっくり返してB面を再生する。これを墓標に当てはめると、標の『りぴいと』まで聴き終えたら、ひっくり返して再生すると墓の『いいこいいこ』に戻ることになる。歌詞カードがひっくり返して使うように作られているのもカセットテープに倣ったのでは。
また、歌詞カード真ん中の墓と標の曲が書いてあるページ、標は中央に合わせて作られているが、墓のほうは少し下寄りになっている。墓の『しんじよう』と標の『余命数十年』が同じ高さになっていて、どちらも誕生日について言及した歌詞があるので、意図的に揃えたのでは。
墓のほうが少し下になっているのが、「墓」というものを連想させるようなつくりになっている。墓は夜(過去)、標は朝(未来)に向かっていくイメージなので、墓が黒、標は白、なのかな。

■全曲流しながら感想言い合ったまとめ

<墓>
一 いいこいいこ
「手も足も腐ったくせに」という歌詞が含まれているこの曲を最初に持ってきたのは、前作のアルバム『手も足も出るのに』を意識してるのだろうか。最後の「悪い子」が聞き取りにくいが、こういう演出は今までなかった。
たろーさんいわく、梨本さんが軍歌とか好きだからそれっぽい感じにしたのでは、とのこと。

二 絶叫モブB
AじゃなくてBにしているところに非常に梨本さんらしさがある。
2番「笑うんだ」→「笑おうぜ」
「君は僕を憶えていますか」「君は僕を忘れていますか」が1番と2番で原曲とは逆になっている。
『つまんねえな』の「脚本から書き直そうぜ」の演者ともつながっているように感じる。
ドラムの変更はかしこでやる用に変えたような気がする。(たろーさん)

三 何処かで他人が死んでいる
歌詞の表記が校正されている。
歌詞に登場する「青」とは。
→ブルーシート(そのままの意味で、誰かの“死”を連想させる)、視覚・感覚的な意味合い、青臭いの青、涙(血の赤との対比)
…などの意見が出た。と、これ書きつつ原曲の動画見たんですけど、空の青(ド晴天の空)なのかな、という気もしました。初っ端で踏切の警報機が登場して心がやられてしまった。

四 しんじよう
梨本うい本人のパートと初音ミクのパートがあって、途中で人が入れ替わっているような感じがする。最低な未来が最高な未来に聞こえる幻聴が多発したけど、たぶん幻聴。
原曲では砕けばなおさら「軽くなる」だったが、墓収録ver.では「重くなる」に変更されている。(歌詞カードは「軽くなる」のまま。)
-砕けばなおさら軽くなる=骨?骨壺に骨を入れるときに砕いて細かくするような、物理的な破壊を想像させる。
-砕けばなおさら重くなる=心?砕いて重くなるというと精神的なもののイメージが強い。
また、原曲では、最後が「君と」だが、墓収録ver.では「僕と」に変更されている。(これ原曲流したときのみんなの新鮮な悲鳴がとても良かったです。にやにやしました。)
最後の「嘘だよ」は、初音ミク目線なのか、梨本さんが言った言葉なのか。どこまでが梨本さんの言葉で、どこからミクになるのか。
「信じよう 信じ合おう」が「心中を 死んじゃおう」に聞こえるが、「嘘だよ」は、信じ合うこと、死んじゃおうという言葉、どちらに対してかかっているのか。

これはさすがに考えすぎかなあと思って考察会で言わなかったんですが、「駄目になって自棄になって腐らぬ前に」って歌詞を初めて聴いたときに、すごく違和感があって、「駄目になって自棄になって」のあとに来るなら「腐る前に」もしくは「腐らぬように」とかが正しいのでは?と思ったんですが、これ、そのあとの「信じよう 信じ合おう」が「心中を 死んじゃおう」に聞こえることを踏まえると、「腐らぬ前に」も「くたばる前に」に聞こえませんか。

五 御手紙頂戴
シンプルに歌詞が好き。
縦読み「大阪から千葉まで 千葉からどこまでいこ」
歌詞をしっかり読み取ったら深い意味がありそうなんだけど、時間足りませんでした。御手紙頂戴の歌詞についてはもっと話したかったなあ。
「バイオリズム砕けて今は夜」「まるで阿呆はデマを説いた」あたりが『しんじよう』と繋がっているような気もする。
たろーさんより、原曲が、全部平仮名だったのには意味があると思う。他の曲も含め、あいつが平仮名使うのは意図的にやってると思うから。とのこと。

六 恋は幻で愛は空回り
御手紙頂戴の話をしててすっかり抜け落ちてしまったこの曲の考察…。
「星空見上げる余裕もないのさ」は『待ちぼうけ』とリンクしてる気がするよね。後述します。

七 メス豚アバズレ淫乱女
平仮名表記だったものが漢字になるなど、歌詞が校正されている。
「大人になっていく君」は、モブBとかエンコ―とかで出てくる“君”と同一人物?

八 待ちぼうけ
「僕はここにいるの?」→「僕はここにいるよ」
元々、不確かだった自分という存在の居場所が明確化されている。
“ここ”は墓を指していて、不明瞭だった自分の立ち位置(気持ちや感情という内面的な部分も含め)に対して、死にたがっている自分もまだここにいるよ、と現在の自分から過去の自分に向けて、暗い方向にポジティブなことを歌っているようにもとれる。
「まだ君は来ない」のに「僕ら俯き寂しそう」で、一人称と二人称が合わないのは、意図的に一人称・二人称をぐちゃぐちゃにしている?物理的な距離の話・待ち合わせのことではないのでは。
ライブでやるとき、曲の雰囲気を出すのが難しい。ミクさんがふわふわしてるので、バンドで形にしづらい。(たろーさん)
他の曲では一貫して「街」が使われているのに、この曲だけ「町」なのにも意味はあるのかな。

九 エンコー少女
この曲の“君”はたぶんきっと理想化したあの子(実際に援助交際をしているあの子ではなく、僕がずっと信じている白くてかわいいあの子)のこと。
ラスサビの「愛愛愛愛」が「ラブ」と歌っている。
最後の「あい?」「あい。」はI(僕)と愛(LOVE)のダブルミーニングになっている。どっちのI(愛)を当てはめるかでニュアンスが変わる。

十 おえおえお
この曲もエンコーの“あい”の話とかしてて考察し損ねたんですが、墓標ver.はコーラスがかわいいですよね。らんららおー。
考察会のメモ書きにひどいこと書いてあったけど考察と関係ないので参加者たちだけの秘密ということで…。

十一 そんな未来
入りが過去音源。あきすとぜねこ時代の音源では感じなかったが、ミクさんが歌うことで、楽しい曲のようにも聞こえる。
これもっと深く掘り下げるべき曲だったよね。時間足りなかったなー。
「僕ら」について『夜の終』との比較。後述。

<標>
一 喪中見舞い
『いいこいいこ』と対になってる。夜が寄り添ってる。墓を偲んで、標の始まりを告げてる。いろいろ後述。

二 死にたい十代、殺したい二十代
「今は二十代」→「生きた二十代」
「いずれ来るだろう三十代」→「やがて訪れた三十代」
「繋がっている」(追加)
歌詞変が、今を生きてる梨本ういver.になっていて、こういう変更嬉しいよね、という話をした。

三 鏡の向こうの醜い私
「死にたいですか」→「逝きたいですか」
「幸せなのか」→「幸せですか」
「生き延びて」→「まだ苦しくて」
この曲は本当にいろんな話が出たんですが、墓標以外の曲との絡みが多すぎて…(?)
『夜の終』の光との関係性について後述してます。

四 余命数十年
ハイになったとき(べろべろに酔っぱらってニコ生やるとき)の梨本うい、というイメージ。
初めて聴いたときの私の感想メモには「曲調明るいのに歌詞ド暗いよね」って書いてありました。

五 頭がパー子ちゃん
「今日も壊れ出す」→「今日も歌い出す」
「僕ら」→「君は」(ラスサビ)
「みんな」→「僕は」(ラスサビ)
「死にたい夜さえ生き延ばす」→「死にたくない朝壊れ出す」
時間軸を夜から朝にしたのは、これが墓ではなく標の曲のため。
死にたくない朝「に」壊れ出す、のか、死にたくない朝「が」壊れ出す、のか。最初の項目で書いた「梨本さんにとって『壊れる』というのが、生きたいと思うようになること」なのだとしたら「に」のほう。『夜の終』に向かって少しずつ変わっていくイメージ。
原曲では、「僕ら」頭がパー子ちゃんになったあと、「みんな」頭がパー子ちゃんになって終わるのに対して、墓標のほうは一貫してずっと「君は」頭がパー子ちゃんだったのが、最後だけ「僕は」頭がパー子ちゃん、に変更されている。

六 こらえらんないなう
なぜ『こらえらんないなう』なのか、『こらえらんないな』でもよかったのでは。
→「なう」は梨本さんにとって煽り言葉という印象が強い。自分がダメになっているのを、自分で馬鹿にしているようにもとれる。
「先生」が今まで登場したことのない三人称。『病名コジキ』との関連性は?
耳鳴り・サイレン・一つ目などは精神状態の危うさを表してる。
日本っぽい響きに聞こえるのは、念仏の音を連想させるような曲調だからでは。
墓のほうに入っていそうな歌詞だけど標に収録されているのは、実際に作ったときはすでに標の状態だったから。本当の意味での墓の曲にはなり得ない。たぶん本人がそれを一番分かった上で作っている。
「鏡」「待ちぼうけ」など、他の楽曲を連想させるような言葉が登場するのも意図的?

七 最底の人
分かりやすく梨本ういの曲だな、となる。聞く人が共感しやすい。
最低じゃなくて最底なのも非常に梨本さんっぽいよね。
歌詞の印象はアゴアニキの『ダブルラリアット』と似ている。(自分よりうまくやっている人への劣等感)

八 つまんねえな
「演者はほらアイツがいいね コイツじゃなければ誰でもいいぜ」の“アイツ”と“コイツ”がモブBとの関連性がありそう。アイツがヒロインの君で、コイツがモブBの自分?その逆?
心気妄想壁と歌詞が対照的。下記。

九 心気妄想壁
ニコ動の動画内で意図的に文字を塗りつぶして書き直してる箇所がいくつかある。(括弧内が塗りつぶされてるほう。)
灯火(ロウソク)
終わりたく(死にたく)
飛ばない(死なない)
誓う(願う?)
キミ(僕)
ボク(君天使)
お前(君)

前曲『つまんねえな』との対比。
「見届けろラスト」に対して「こんな半端なラスト笑えるかい」
「今なら飛べそうだ」に対して「(終わりたくない想いにやられてだから)飛ばないように僕は唄う」
『つまんねえな』が半ば投げやりに最後は幸せになりたいな、みたいな歌詞なのに対して、『心気妄想壁』はしっかり地に足つけて自分と向かい合ってるような印象がある。
最後、「お前(君)なんかに命は渡さない」で終わって、『夜の終』に繋がるんですね…。
『頭がパー子ちゃん』『不和り』のアンサー的な、アナザー的な。らしいのでこの二曲ともしっかり比較したい(時間足りなかった)。

十 夜の終
梨本ういの曲の多くが「君=過去の自分」だというのは、本人がニコ生などで明言している。
というのを踏まえた上で、『夜の終』に“君”は出てこないことについて。僕一人になって夜が明ける。“君”との決別、融合、調和などの意味合いがあるのでは。ただ、夜(過去?墓?)との別れを名残惜しんでいる自分もいるように感じる。

最後の歌詞「夜の終わりに鐘の音は響き」でいきなり登場する鐘がとても気になっていたのだが、これは、『喪中見舞い』の最初と最後に鳴る鐘の音と同じものでは。
喪中見舞いは元々、身内に不幸があった(喪中の)人にお悔やみの気持ちを込めて送るもの。なるべく年内に送るのが望ましいとのことだが、『喪中見舞い』という題名から、年の瀬や新年を連想させられる。ということは、『喪中見舞い』で鳴っている鐘の音というのは、除夜の鐘のこと?(新しい始まりを告げる音)。
墓標全体を通して言えば、音に関しては、警報機など、危険を連想するものが描かれていたが、最後は鐘の音(静かで穏やかな音)に変わった、とも読み取れる。

「窓に差し込む光」という歌詞から、室内で朝を迎えるようなイメージがあったが、直前まで「馬鹿一人走り出した 寂しい夜怖ろしくなって」といった外にいることを連想させる歌詞が続いている。結局、“僕”はどこにいて、どの窓に光が差し込んでるのを見ているのか。一つの仮定として、窓に差し込む光≠室内であるなら、“僕”は外にいて、どこかから街の家々に光が差し込んでいくのを見ているとも考えられる。『鏡の向こうの醜い私』で街を見下ろしていた場所と同じ?だとしたら“僕”は北公園の高台にいるのでは。
(ちなみに梨本さんが出した2枚目のアルバム『まどのそと』のジャケットは、北公園で撮られた写真に窓の絵が描いてある。)

十一 りぴいと
終わり方がテレビを消すようなイメージ。サビ前のギターが巻き戻してるような音にも聴こえる。
ラスサビの最初のミクさんが、梨本ういのミクさんじゃない。世間一般的な初音ミクの声。そこから徐々にコーラスが重なっていつもの梨本さんのミクさんになっていくように聞こえる。まるで梨本ういが大衆に迎合していくような。
でも最後は『夜の終に僕は一人』なんですよね…。
「僕ら」について後述。

■楽曲に複数登場する言葉・音について

Φ「腐る」「咲く、枯れる」
前作のタイトルが『手も足も出るのに』だったのに対し、一曲目『いいこいいこ』に「手も足も腐ったくせに」という歌詞が登場し、『しんじよう』は「腐らぬ前に」など「腐る」という言葉が何度か登場する。
「死んでも墓に入らないと腐る」ので、「腐る」=死んでもいい状態(が続くこと?)

墓=腐る(『いいこいいこ』、『しんじよう』)
標=咲く、枯れる(『喪中見舞い』、『りぴいと』(原題が『夕枯れの空』)

他にも墓標の曲以外でこれらの動詞が出てくる曲がいくつかあるので、要考察という感じでした。

Φ砂嵐
『最底の人』、『夜の終』、『りぴいと』に砂嵐のような音が差し込まれている。
テレビのチャンネルを変えるような、何かを切り替えるタイミングに入っている印象。
『墓標』のトレーラーもカラーバーで始まるなど、テレビを連想させる演出がいくつかの曲に共通して見られる。

Φ色
『鏡の向こうの醜い私』→「原色の夢」「止め処無く滲む灰色の中」
『何処かで他人が死んでいる』→「青」
『御手紙頂戴』→「化け出るはずが今も白」
『こらえらんないなう』→「警報機の朱色」「灰色濁ったこの部屋で」

原色の夢=見惚れるほどの無茶な未来、のこと?
色に意味を持たせている?

Φ「或る」と「ある」
或る…どれと具体的には示さず、そういうものの存在だけをにおわせて物事に言及するときに使う語。

『御手紙頂戴』では「下った先に底は或る」。
『夜の終』は「あるはずないとわかってたのに」が「或るはずないとわかっていたのに」に校正されている。
また、『喪中見舞い』は「命或る限り」なのに対して、『りぴいと』では「命ある限り」と平仮名表記になっている。

他にも『絶叫モブB』で「覚えてますか」ではなく「憶えてますか」、『夜の終』の「恐ろしくなって」ではなく「怖ろしくなって」など、漢字と平仮名の使い分け、漢字と漢字の使い分けはかなりこだわって作られている。と思われる。

■楽曲同士の繋がり

Φ『鏡の向こうの醜い私』と『夜の終』の光
『鏡~』
-ハイライト=タバコの光(とても微かな明かり。自分が今灯せる精一杯の明かり)
-家の明かりが星の数ほど=幸せで温かい家庭から漏れる光。とても大きい光。
『夜の終』
-窓に差し込む光=朝日=誰にでも平等に訪れる明かり。

Φ『そんな未来』と『夜の終』の「僕ら」について
『そんな未来』の大人になった「僕ら」は、僕と誰かではなく、過去のいろんな地点にいる自分自身を複数形で表現している。10年前の僕も5年前の僕も昨日の僕もすべてひっくるめて、大人になった、という意味。
『りぴいと』のありふれた今日を繰り返す「僕ら」は梨本さんと特定の誰かではなく、この世に存在するすべての人のこと。自分も他人も、日々を繰り返していく、と歌っている。

■個人の感想です

せっかくだから考察を通して私自身が書いておきたいことも書き残しておきます。読み飛ばしていただいてもいいです。

梨本さんの曲、歌詞の流れでどうしても必要だった、ではなく、意図的に使われてる単語がいくつかあるよね。「夜」「朝」「窓」「街」「星(光)」「飛ぶ」(前述した「腐る」「咲く」「枯れる」)あたりかなあと個人的には思っているので、これらについてはいろんな人の意見を聞いてみたいです。
私の中で「窓の外に飛ぶ」っていうのがどうしても『ひとり遊び』の印象が強くて、どちらかというと暗い意味に捉えていたんですが、「飛ぶ」というのは必ずしも暗い意味だけではないのでは、という意見を聞いて、他の人の考えを聞いてみるのって面白いなと思ったので。

『待ちぼうけ』で「僕ら俯き寂しそう」で『恋は幻で愛は空回り』で「星空見上げる余裕もないのさ」だったのが、『夜の終』で「涙溢れ 見上げた」という歌詞が出てきて、ここで初めて空を見上げるのが、いいよね。なんなら『なれのはて』でも「落ち葉拾いに夢中になりすぎて空見上げることを忘れてしまったよ」と言っていて、空を見上げていることってほとんどなかったので…。
(『最底の人』でも見上げてるんだけど、これは揶揄的な要素が大きいのかな、という感じなのでノーカンで。)

最初、墓標を二十二曲通して聴いたとき、なぜ『夜の終』で終わらなかったのか不思議で、最後に『りぴいと』が入る意味について考えるなどした。で、『りぴいと』だけが、「現在の梨本うい」がここに立って歌ってる、と思った。
10年前の自分から見た5年前の自分は未来だし、過去の自分から見た今の自分も未来なので。墓標の曲はどれも、ある地点の自分から未来もしくは過去に向けて歌っている曲ばかりだなあと。"現在"という時間軸にいる梨本さんが"現在"のことを歌っているのは『りぴいと』だけなのでは。だから『りぴいと』からどこの地点にも戻ってしまうかもしれないということなのかなと。(「まだ戻れる可能性がある」という意味合いも含んでるかも。)他の二十一曲に対して『りぴいと』は世にも奇妙な物語のストーリーテラーであるタモリさん的な役割というか、そんな感じのイメージ。

というか『夜の終』の終わり方があまりにも綺麗すぎるから、もし、『墓標』というアルバムが『夜の終』で終わっていたら、梨本ういは音楽辞めてたんじゃないかとすら思う。

■あとがきみたいなやつ

ということで、今回話した内容について、それっぽい部分をかいつまんで(つまめてない)書きました。長い。文字カウントによると9500字くらいらしい。論文かよ。
私のメモがあまりにも走り書きだらけだったので、参加者の皆さま、もし抜けなどあればご連絡ください。
墓標の曲だけで考察を完結させられない事案が多すぎて(『鏡の向こうの醜い私』の話をしてるとき『鏡の向こうの醜い僕が、首を傾げて苦笑い』『ロケ花戦争』の歌詞と比較すると~ってなったり、「腐る」「咲く」「枯れる」問題で『ノンサイノ』『目やに』の歌詞が~って言いだしたり、じゃあ『夕枯れの空』、『僕を幸せにして』『不和り』も~って調べだしたり。墓標を踏まえて聞くと『不和り』、エモすぎない?他にもあの曲とかあの曲が~って無限に言ってた。驚くべきは誰かが言ったら別の誰かが速攻で歌詞なり音源なりを出してきて共有し合ってたところですよね。サクラ強い。)今回はあくまで墓標について語る会だったので、他の曲についてはあえてあまり名前を出さないようにしてまとめました。
サクラの皆さん、下手したら本人より梨本ういの曲に詳しいので、本当に収集つかなくなるところだった。こわい。

でも考察って答えが分からないからどこまででも掘り下げられるものだと思っているので、同じ曲を聴いて同じ大きさの好きを抱いているのにまったく違う意見を持ってたり、みんなで互いの考えを真剣に話し合って擦り合わせたりするのって非常に楽しいなと思いました。ライブ後の打ち上げはだいたい「いや~今日のあらいやかしこ良かったわ~」って言い合ってたら終わるので。ほんと毎回、お酒飲みながら「今日良かったわ~」って言ってる気がする。

ここまで読んでいろいろ感じ取ってくださった方がもしいらっしゃれば、クールダウンにおすすめなのがMr.カウパーソン氏の『てれびぞんび』という曲です。ぜひ。ちなみに考察会参加者は深夜のカラオケでこれを聴いてみんなで声にならない声を上げてました。クールダウンとは。

今回はコロナのあれで身内数人だけの開催だったのでもし万が一第二回があるのであれば、次は梨本うい全楽曲考察会みたいに幅を広げてもっと大々的に告知していろんな人のいろんな見地や見解を聞いてみたいなあと思いました。ただ今回8時間くらい話してたけど全然時間足りなかったのでもしそんなことをやるとしたら2泊3日の合宿とかになるのでは。

ということで以上です。『わるつ』聴こ。

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