ドナルド・キーン氏との邂逅
私が日本文化、日本文学、日本語について見方が変わったのは、キーン氏との出会いが大きい。
著作を読んだのは『日本の文学』が初めてだったが、そこにはキーン氏の美学に基づく日本文学論が展開されていた。
アメリカ文学をやっていて、日本人の自分がアメリカ文学を研究する、ということのイメージは持てていたけれど、日本の文学をアメリカ人が学んでいて、しかも文学畑の自分より遥かに鋭い洞察と深い知識を備えていることに驚嘆した。
そもそも、どこかで自分が日本の文化や文学を舐めているところが実はあった。
なんとなく古臭いという先入観が正直あった。
だからどうしてそこまで日本文化がもてはやされるのかがわからなかった。
その意味で『日本の文学』は私にとって劇薬とも言える本だった。
その後彼の自伝を読んだ。
どこに惹かれたかというと、彼の学ぶ姿勢である。
本当に心から日本が好きで、日本を愛していることが伝わってきた。
特に彼は著作の中で、彼が国粋主義者を嫌っているとあり、そこがとても共感できた。
私も文化や文学を政治利用するやつは大っ嫌いなので、とてもわかる気がした。
そんな彼が人生をかけて学ばなくてはならない日本とは何なのか。
それが私の今の大きなテーマである。
俳句を始めてみたり、浮世絵にハマったり、書道の面白みを見つけたり。
日本語の響きという観点でJ-POPのよさを改めて考えたり、文学をもう一度やってみようという気になった。
還暦まで30年ある。
キーン氏が見たところまでは流石に行けないと思うけど、自分にも出来るところまで行ってみたい。
それが今のモチベーションだ。
その機会をくれたキーン氏の著作なので、『日本文学史』シリーズは読破しようと思う。
その上で再読して、キーン氏が和歌などをどう英訳しているのかを見たい。
偉大なる研究者の意志を継ぎ、私は詩の分野で活躍したいと思う。
創作と探究の旅は続く。