フィールド・レコーディングの形式についての妄想

2022/04/27(Wed.)

 柳沢英輔さんの新書「フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う」が届いたので早速読みました。フィールド・レコーディングの歴史や学問的な流れを説明しつつ、柳沢さんの自作を事例にフィールド・レコーディングの深さを伝える良い本でした。各賞の間にはフィールド・レコーディングをこれからはじめる人に向けた技術的な解説もあり、まさに入門書として素晴らしい資料だと思います。

 今年度は秋田市でのパフォーマンス企画もあり、秋田市のプレイヤーや大学生と関わる機会が増えましたが、学生の活動にもフィールド・レコーディングをテーマにしたものもあるなど、コロナ禍でこれまでの密な空間で聴取する音楽体験が難しい期間に、フィールド・レコーディングや宅録のような個人的な音楽体験が注目され発達しているように感じます。
 下記動画の「アイスが溶けてからvol.4」では、カジュアルなスタイルの若者が集団で僻地に赴きレコーディングしている様子が印象的です。品質の高い音源を撮ろうとすると単独で自然の中に行く方が人のノイズが入らず都合が良いと思いますが、この動画ではみんなで僻地に行くためにレコーディングしているようにも見えます。自然のなかでレコーディングするということが、キャンプやバーベキューのようなアウトドア・アクティビティの一つとなっているようです。70年代の雑誌「ロクハン」でも同様に若者たちのコミュニケーションツールとして、フィールド・レコーディングが取り上げられていたように記憶していますが、コロナ禍におけるアウトドア・アクティビティと聴取文化の交流点としてフィールド・レコーディングが注目されているのかもしれませんね。

 僕自身もデイリーレコーディングと称して毎日身近な音をスマートフォンで録音したり、実験的な自作マイク文化の発達を目指して耳型マイク装置・ミミックロフォンシリーズを作るなどしてきました。

 フィールド・レコーディングの発展に合わせて、民族学やアートワーク、アーカイヴなどのいろんな形式・目的をもったフィールド・レコーディングがあると思い始めました。現代音楽家の三輪眞弘が録音された音楽の体験を「録学(ろくがく)」と名付けて人間が身体を用いて表現する音楽と区別したように、フィールド・レコーディングも様々な形式に名前が与えられることでそれぞれの哲学がより深く発達するのかも、と妄想しました。
 そんなわけで僕なりのフィールド・レコーディングの形式に名前をつけてみました。
魚釣りのような録音(サウンド・フィッシング、音釣り)
銃猟のような録音(サウンド・ハンティング、音響狩猟)
路上観察のような録音(サウンド・オブザベーション、音響観察)
日記のような録音(サウンド・ダイアリーあるいはデイリーレコーディング、音響日誌)
 ここまで考えて、魚釣りと狩猟って同じ目的なのでは?とか、他にもレコーディングの区分あるだろ〜、とツッコミだらけです。個人的には日記のように録音する作業に関心があるので、その方向性を深めていきたいです。本を読むといろいろ妄想が膨らんで楽しいね。

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