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やっぱり遠かったアルゼンチン

ハンドメイド作家のPlava Stabloこと青木弘之です。

今まで旅行した数多くの国の中で一番日本から遠かったのは、やはり地球をはさんで日本の反対側に当たるアルゼンチンでしょうか。

実は、アルゼンチンには今まで2回旅行しており、最初は2010年9月で、まだ会社員をしていた時でした。この時は土日を含めて、9日間しか旅行期間がとれず、実質現地滞在は6日間。そのうち、隣国ウルグアイに1泊2日で滞在しているので、アルゼンチン自体は4日間の滞在となりました。

当時のコンチネンタル航空で、アメリカのヒューストンを経由し、アルゼンチンのブエノスアイレスには約1日がかりで到着しました。

アルゼンチンでは、結局ブエノスアイレスと、郊外の街サン・アントニオ・デ・アレコだけの滞在したでしたが、南米の国に行くのは初めてだったので、とても気分が高揚していたことを思い出します。

ブエノスアイレスでは、お約束のカミニート地区や、マラドーナも在籍していたサッカーチーム、ボカ・ジュニアーズの本拠地スタジアムなど見学しました。

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食べ物では、名物の焼肉アサードなどいただき、そのボリュームに驚かされました…

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サン・アントニオ・デ・アレコは、ブエノスアイレスから日帰りで行けるところをネットで調べて見つけた街で、ガウチョ(牧場の家畜を管理する、カウボーイのような仕事をする人)の街として有名な場所とのことでした。

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確かに、街を歩いていると、馬具を売っている店などもあって、裾がすぼまっている、本場のガウチョパンツも購入したりしました。

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なんやかんや言っても、アルゼンチンは遠いので、当分は行く機会もないかなあ…と当時は思っていましたが、思ったより早く?2018年3月に再訪することが出来ました。

この時は、南米のペルーから入り、パラグアイ・アルゼンチン(およびウルグアイ)・チリを周遊するという航空券を使って旅行しました。

この時も、実はアルゼンチン滞在は実質4日間だったのですが、首都ブエノスアイレスの他、夜行バスを駆使して、アルゼンチン第二の都市コルドバへも足をのばしました。

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3月上旬のアルゼンチンは結構暑く、特に内陸のコルドバは思った以上に日差しが強くて街歩きも汗だくでした。

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2度目のブエノスアイレス滞在も、2010年とは違う場所に行ってみるついでに、またカミニート地区にも行って、以前に画を購入したアーティストの方ご本人に会うことが出来たり、懐かしい気持ちが湧いてきました。

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このおじさんは売り子さんで、アーティストの方ではないのですが…

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アルゼンチンの布探しは、コルドバで行いました。繁華街をぶらぶら歩きながら、生地屋を見つけては、アルゼンチン製の布がないか訊いてみたのですが、当時はまだ翻訳した文章を見せるというテクニックを思いついておらず、お店の人もスペイン語しか分からないので、コミュニケーションには相当苦労しました…

何しろ、品質の良い輸入物の生地がたくさんあるのですから、私がわざわざアルゼンチン製にこだわる理由が理解できないのも仕方ないと思います(旅行先ではいつものことですが…)。

何軒か生地屋をまわったのですが、どこもアルゼンチンで作られた布は置いておらず、まあ、コルドバでなければ大都市のブエノスアイレスで探せばいいかなあ…と思い始め、もう、ここに置いてなければいいや、と思って入ったお店で、たまたま勘のいい店員さんがいたのがラッキーでした。

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人のよさそうなおじさん店員で、スペイン語しか話せないのにも関わらず、私が手作りの豆本など見せると、質問の意図を汲んでくれて、これはアルゼンチンの布地だよ、という感じで何点か出してしてくれました。

確かに他に並んでいる生地とは違って、柄が独特で、特に南米で良く飲まれているマテ茶のカップをあしらった柄は、まさしくアルゼンチン。

本当に、現地の布との出会いは一期一会ということを実感しました。

「旅から生まれた豆本」アルゼンチン編は、訪問した街ごとに計3冊ご用意しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。







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