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「北キプロス」に行ってきたことを思い出した

ハンドメイド作家のPlava Stabloこと、青木弘之です。

先日の記事で、今まで私が訪問した国・地域の数は82とお知らせいたしました。

ここでいう82という数は、基本的には、ISO(国際標準化機構)の国名コード標準で定義されている国・地域をカウントした合計になります。

大ざっぱにいうと、国連加盟国の他、国連には加盟していませんが、一部の国においては国として承認されているところや、ある国に属しているが、高度な自治権が与えられていたりしている地域などになります。

いわゆる「地域」として、私の訪問したところでは、台湾・香港・マカオ・ジブラルタルが相当します。

難しいところが、旧ユーゴスラビアのセルビアから分離独立を宣言したコソボで、日本は国として承認しているのですが、まだ多くの国は未承認の状態で、ISO(国際標準化機構)の国名コード標準でも、コソボは未定義のようなのです。ただ、私の場合、コソボは訪問国数にカウントしています。

さて、台湾やパレスチナ自治区、西サハラのような、承認・未承認はともかく、国際的にほぼ「国」扱いされているところの他に、政治的な理由で特定の国のみ承認しているという「国」がいくつか存在します。

その中の一つ、東地中海のキプロス島の北半分を実効支配している「北キプロス・トルコ共和国(以下「北キプロス」と表記)」に、私は訪れたことがあります。

キプロス島は、独立当時はキプロス共和国(以下、キプロスと表記)という一つの国だったのですが、ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が根深く、トルコの後押しで1983年に北半分の地域が「北キプロス」として独立を宣言し、実効支配することになります。そのため、現在EUに加盟しているキプロスは、実質南半分の地域を統治していることになります。

「北キプロス」を承認している国はトルコだけ、一方、キプロスを承認しているのは国連加盟国でトルコを除く全ての国だそうです。

私は、2009年9月にキプロスを訪れた際、空港のある街ラルナカから、首都のニコシア(ギリシャ語でレフコシア)まで乗り合いバンで移動してきました。

ニコシアはこぢんまりした街ですぎ、まさに街の中心部に南北分断線(グリーンライン)が走っています。なお、境界線近辺は写真撮影禁止でしたので、ズームで撮影しています。

奥の青と白の縞の壁がグリーンラインです。

キプロスと「北キプロス」の「国境」は、ニコシアの繁華街にある道路上にあり、旅行者はパスポートを提示して、スタンプを押した紙をもらい、キプロスから「北キプロス」に入ります。

「北キプロス」側のニコシア(トルコ語ではレフコシャ)は、正にトルコの雰囲気で、モスクがあったり、食堂もトルコ料理ばかり。通貨はトルコリラですが、ユーロも普通に使えました。(当時は1ユーロが2トルコリラでした。)

「北キプロス」におけるインターネットの国ドメインもtr(トルコ)だそうですが、なぜか郵便切手は独自に発行していて、「北キプロス」の切手を貼った絵はがきは無事日本に到着しました。

ちなみに、キプロス側から出した絵はがきはこんな感じです。

以上は、2009年9月時点のお話しでしたが、キプロス問題については、2020年現在も大きな変化はないようです。

当然ですが、「北キプロス」にもいろんな街があって、ニコシアには観光案内所もあったので、観光にも力を入れているようです。トルコ本土から直接「北キプロス」へ飛行機や船で入れるようですが、「北キプロス」からキプロスへ抜けて、キプロスから出国することはできないようです。トルコから「北キプロス」のみの訪問か、キプロスから日帰りで訪問するのがよさそうです。

キプロスについては、デジカメ写真は撮っているのですが、現地の布を入手できていないので、残念ながら海外旅豆本をまとめることができません。いずれ再訪して、現地の布探しをしたいと思っています。おそらく、現地製の布はないとは思いますけど…

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