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ツタンカーメン王墓発見の物語 - ある考古学者の努力と情熱〜 「河江肖剰の古代エジプト」より


はじめに 

古代エジプトの歴史は、数千年にわたる謎と秘密に包まれています。その中心には、歴代のファラオたちが眠る王家の谷が存在します。今回はその中で最も謎めいたツタンカーメンの墓の発掘について、有名な英国の考古学者ハワード・カーターの探求を通して紐解いていきたいと思います。

今回の記事の内容はこちらの動画でも詳しく解説されていますので、興味を持たれた方はぜひご視聴ください。

ハワード・カーター:一人の青年がエジプトを選んだ日

1874年5月9日、英国ロンドンの貧しい家庭に生まれた一人の少年ハワード・カーターは、画家の息子として生まれ、若くしてエジプトという未知の地へと足を踏み入れました。彼の旅は、17歳という若さで始まり、その後も彼はエジプトに魅せられていきました。義務教育しか受けていない彼にとって、エジプトは未知の世界であり、無限の可能性が広がっていたのです。

イギリス人考古学者ハワード・カーター

青年カーターのエジプト:職を求めて

エジプトに到着してから彼は自身の画家としての才能を活かし、遺物や遺跡のスケッチを作り、その複雑なディテールを詳細に捉えていました。そして、25歳で上エジプト地方の遺跡査察官という職に就くこととなります。彼の人生は、これまでの絵画から一変し、一人の職人から研究者へと転じていきました。

大乱闘と辞職:カーターの人生を大きく変えた事件

しかし、彼の研究者としての道は、ある事件によって途絶えることとなります。カーターが30歳の時、サッカラにてフランス人観光客との間で大乱闘になるほどの大きな一悶着が生じ、その結果として彼は遺跡査察官を辞職することとなったのです。

ハワード・カーターは頑固な性格だったことでも知られている

しかし結果として、この事件は彼の人生における大きな転換期となり、その後の人生にも大きな影響を与えました。

カーターとカーナヴォン卿:エジプト探検の奇妙なコンビ誕生

カーターが辞職した後、彼は元の画家の職に戻り、エジプトの風景画や遺跡を描いたり、遺物の売買を行って生活を送っていました。しかし、彼の心の中で燃え続ける発掘への情熱は、彼を再びエジプトの地へと引き寄せました。その時、カーターはイギリスの貴族で、自動車好きで知られるカーナヴォン卿と出会いました。

イギリスの貴族カーナヴォン卿

カーナヴォン卿はエジプトの遺跡に魅せられ、自身でも発掘を行いたいと考えていました。しかし、彼にはその経験がなく、そんな時に紹介されたのが、ハワード・カーターだったのです。

王家の谷の発掘を目指して:発掘権の取得

こうして2人は共に遺跡の発掘に挑むことになりましたが、そんな2人の前に立ちはだかったのが、発掘権の取得という問題でした。彼らは王家の谷を発掘したいと思っていたのですが、当時王家の谷の発掘権はアメリカの富豪Theodore M. Davisが保有していました。

歴代のファラオが眠る王家の谷

この発掘権とは、特定の地域で考古学的調査を行う権利であり、国や地方政府から許可を得る必要があります。Davis自身この王家の谷を掘り続けていたのですが、1915年、Davisは王家の谷は掘り尽くしたと断言し、発掘権を放棄することにしたのです。その結果、ハワード・カーターと彼のスポンサーであるカーナヴォン卿が発掘権を得ることになりました。

掘り続ける勇気:カーターの諦めない探求心

こうしてカーターとカーナヴォン卿は、王家の谷での発掘を始めましたが、その道のりは容易なものではありませんでした。特にカーターが発掘を続けることを決意したのは、第一次世界大戦中であり、資金や時間が限られていたためです。しかし、彼の探求心は一向に衰えることはなく、1917年に本格的な発掘が始まりました。

カーターは王家の谷の中心部に目を付け、そこの発掘を開始した

カーターは王家の谷の中心部を目指しましたが、そこは大量の土砂で覆われていました。彼は約5年間掘り続けましたが、未発掘の墓を見つけることはできず、カーナヴォン卿は諦めることを提案しました。

しかしカーターは諦めませんでした。彼は、最後の1シーズンを自分のお金で賄ってでも掘り続けることを決意しました。そして、1922年の11月4日、遂に彼の努力は報われ、ついに未開のツタンカーメン王の墓の入り口が明らかになったのです。

1922年の11月4日、ツタンカーメン王の墓の入り口が発見される

驚異の発見:ツタンカーメン王墓が世界にもたらした影響

その墓の中には、ツタンカーメン王の生涯や死についての貴重な手がかりが埋められていました。カーターが初めてその光景を見たときの感動と興奮は、彼自身の言葉によって今も生き続けています。

カーターはそのあまりの光景に、多くの言葉を紡ぐことができなかったと言われている

ツタンカーメン王の墓の発見は、世界中で大きな反響を呼びました。それは考古学的に重要な発見であるだけでなく、古代エジプトの生活、文化、信仰についての理解を深める契機にもなったのです。

さいごに

ハワード・カーターの最後まであきらめない努力と情熱が、世紀の発見ともいえるツタンカーメン王墓の発見に繋がりました。そうした彼の生き方によって見つかったツタンカーメン王墓。その黄金の煌めきは、長い時を経ても今なお古代エジプトの謎と魅力として、私たちの心を引き寄せていると言えるでしょう。

本記事で触れた内容のより詳細な解説を見たい方は、こちらの河江肖剰先生のYouTube動画をご覧ください。ツタンカーメンの墓の発見とその影響について、更に詳しく学ぶことができるでしょう。

河江 肖剰(かわえ ゆきのり)
エジプト考古学者/名古屋大学高等研究院准教授/米ナショナルジオグラフィック協会のエクスプローラー。19歳でエジプトに渡り、1992年から2008年までカイロ在住。カイロ・アメリカン大学エジプト学科を卒業後、名古屋大学で歴史学の博士号を取得。ピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士のチームに参画し、ギザの発掘調査に10年以上従事。2016年ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出。ピラミッドの3D計測など、最新技術を用いた斬新なアプローチでエジプト文明の研究調査に取り組んでいる。


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