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カフカの「変身」から学ぶクオリアの神秘


人間の意識は人類が抱える最も深遠で、興味深い謎の一つです。現代の目覚ましい科学の発展で、様々なことが解明されつつあるにもかかわらず、意識の問題は未だに人類の理解の範囲外に存在しています。人はこの世界に生み落とされた後、多彩な経験を積み重ねて自分の人生を生きて行きます。その中で、愛する人の手を握ったときの感触、真っ赤な薔薇の色、バッハの美しいメロディーなど、感覚的には存在しているにもかかわらず、物質的にその存在が証明できない主観的な感覚的事実は「クオリア」と呼ばれています。そして、この「クオリア」と主観的な感覚的事実についての謎は「意識のハードプロブレム」として科学者や哲学者達によって研究が進められているのです。


フランツ・カフカの「変身」と「クオリア」は一見して無関係の事柄のように思われますが、カフカが主観的な体験を描いたという点について、意識のハードプロブレムの観点からの考察ができます。その考察を行うためには、人間の意識は脳内のニューロン(神経細胞)が発火することによって発生していることを前提しておかなければなりません。


私の認識の特性は、私の脳の中のニューロン発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければならない。

茂木健一郎「脳とクオリア」講談社学術文庫

 

このように、脳科学者の茂木健一郎氏は著書である「脳とクオリア」において、ニューロンの発火によってのみ意識の特性は説明され得ると主張しています。茂木氏の説によれば、発火していない状態のニューロンは“存在しないもの”とされています。そして、ニューロンが発火することによって“無の空間”にぽつぽつとニューロンが存在し始めると茂木氏は付け加えていのです。この仮説を前提とすると、「変身」の主人公のグレゴールの意識ははニューロンの発火によって存在していることになります。では、なぜ昨日までは平凡な販売員であったはずのグレゴールが突如として虫に成ってしまったのだでしょうか。なお、虫と成った後もグレゴールの精神は正常なままであるため、単純にグレゴールが錯乱してしまったとは考えにくいです。つまり、グレゴールの脳内のニューロンが発火した結果として、彼が自分自身の身体を虫であると認識している仮説が的を得ているのではないでしょうか。



グレゴールが自分自身の体を見て、「虫である」と判断したことは、虫というオブジェクトに対してニューロンの発火が一定の法則性を備えている事実を証明しています。つまり、彼が自身の体をを知覚したときに、「虫である」と認識するためには、彼が虫を知覚した時点で、脳内のニューロンが虫というオブジェクトに対する固定された選択反応性を持って発火しなければならないのです。

つまり、虫に限らず、トイプードルやシベリアンハスキー、アジサイの花など、ニューロンは世界に存在するすべてのオブジェクトに対して、数えきれないほど多大な、それぞれの選択反応性に従って発火しているのです。そのニューロン発火の法則性によって認識は成立しています。従って、グレゴールが彼自身の身体を「虫である」と認識した主観的事実は、このニューロン発火の選択反応性によって説明が可能です。
 
グレゴールは昨日まで販売員として生活していたが、これは彼の脳内のニューロンが「グレゴールという人間」に対して選択反応性を持って昨日まで発火していたことの証左に他ならなりません。つまり、彼が突如として虫になってしまったことは、彼の脳内のニューロンの選択反応性に何らかの異変が生じ、「グレゴールという人間」に対応していた選択反応性が「虫という存在」の選択反応性に変化した可能性が高いのです。先述した茂木氏の仮説によれば、ニューロンの発火によってすべての認識の特性は説明されなければならなりません。また、「なぜ同一のオブジェクトに対して同一の選択反応性が働くのか」という問題は解明されていません。ここから、私たちの脳内のニューロンの選択反応性がにわかに変質し、明日から私たちの身体が虫となっている可能性は否定できない、という結論が導き出されます。
 
人生で体験するすべての出来事はニューロンが発火することによって生じる脳内の現象に過ぎないのです。つまり、私たちの人生は脳という監獄に閉じ込められており、死を迎えるまでそこから一歩も外に出ることはできないのです。「クオリア」は主観的な感覚的事実であり、他者と共有することはできません。「変身」の作中でグレゴールが虫に成ってしまったことも彼の脳内に生じたクオリアです。

同時に、グレゴールの父親が虫に成ってしまった息子を嫌い、妹が彼をかばったことも彼らの脳内に生じたクオリアの結果でです。クオリアの世界観に照らすと、「私」の見ている赤色は他者にとっての青色である可能性は否定できません。そのため、グレゴールは自分自身の身体が虫になってしまったと認識しているが、父親や妹の認識からは、虫とは全く違った異形の姿をしているのかもしれません。残念ながら、自分のクオリアが他人と同じか否かを確認する方法は存在しません。

しかし、グレゴールは虫となってなお、上司や家族と打ち解けようとしました。グレゴールのように、言葉や感情を介して、決して感じることのできない他者のクオリアや、他者の生きている世界を理解することには大きな意味があると私は考えています。




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