一年の始まりに感じること
毎年、冬が来ると正月の支度を始めます。
毎年十二月を始まりとして、新しい一年が始まるのは日本古来の伝統です。年齢が上がるほど、「体感する時間の長さ」は短くなっていくと大人たちは言います。
しかし、「お正月」は一年に一度しかないため、大人にとっても特別なイベントです(例外はあり)。
子供のころ、冬が来るとお正月の到来を待ちわびた経験はたくさんあるでしょう。そして、いよいよ新年を迎えると、「あけましておめでとうございます」とやけに形式ばったことが幼心にはきまりが悪かったため、ばつに悪そうに振舞って、叱られたことが昨日のように思い出されます。
しかし、「来るものはくる」「過ぎ去るものは過ぎ去る」ため、お正月のような物事に一喜一憂することに意味はない、と述べる人がいます。
これは一方に偏った観点ではないでしょうか。
「全体を見ている」ようで見ていない。つまり、「全体を見ること」ならば、「お正月を待っている時間」というのも、その「全体を見ること」に収めてよいのではないかと私は感じています。「一瞬」は「永遠」の一部であり、「永遠」は「一瞬」の集まりです。だとすれば、後先考えずに遊ぶことも許容して良いのではないかと思います。
「一部」と「全体」は人間社会で常に対立しています。人類の歴史で今日までその対立が解消されることはありませんでした。いつかはこの論争に終止符が打たれるときは来るのでしょうか。
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