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思いのままに
料理をしている途中で、よくココットの器が欲しいと思うのだけど、その瞬間が過ぎるといつも忘れてしまう。
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あとは、このココット器と同じ形で二回りくらい大きい器が欲しい。
普通のグラタン皿は何種類かあるのだけど、ポットシチューを作りたい時に、丸くないと何となく可愛くない。味も変わるような。
いや、変わるような・・・ではなく、本当に変わるのだ。物凄くざっくり言うと味も脳で感じるもので視覚とも繋がっている。さらには、エネルギーは形状にも左右される。(レイキやクリスタルヒーリングの世界で教わり実感。)それは食べ物にも言えること。
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休日の今日、洗濯が終わって炬燵でゴロゴロしつつ「今日はシチューにしようかな?」などと思っていたら突然思い出した。「そうだ!ココット皿だ。そして、まあるいグラタン皿だ!」と。
が、あまりに寒い。街まで出かけたくないな~・・・と躊躇。そこで近所の100円均一で買うことにした。
そうそう、100均でよくお弁当グッズを買うのだけど、そこでいつもココット皿を見かけ「あ。」と思うのだけど、その時は「100均じゃなくてもっと良いのを買おう・・・。」なんて思って毎回忘れていた。そうして、このココット皿に関しては何年もの間、思い出したり忘れたりで何一つ進展がなかった。簡単なことなのにな~。きっと、こういうことって他にも無数にあるのだろうと思う。
忘れるからこそ生きていける記憶もあるのだろうけど、何だか気持ちが悪い。
と言う訳で、やっと念願のものを2ペアで買った。100均の陶器もそこそこ立派。
そして、まっすぐレジに向かおうとしたところ、色とりどりの毛糸が目についた。
そう言えば最近、毛糸の帽子を探している。
白かアイボリー、もしくはグレーの毛糸の帽子が欲しい。が、どこに行っても気に入るものがない。
そんなに凝ったものじゃなくてシンプルなもので良いのだけど、どれもゴテゴテと飾りがついていたり、色がいまいちだったり。
あ、そうか。自分で編んでしまえば良いじゃないか。
というわけで、白い毛糸玉を2個買った。
ところが編み物なんて、高校生以来。果たして覚えているのだろうか?
結果的に、覚えていた。30年以上前の動きでも、指や身体は思い出せるものなのだなあと感心した。
シチューをコトコト煮込みつつ、モコモコしたゴム編みを進めて行く。てっぺんに白いポンポンも作ろう。(相当ダサそうだけど。)
普段の日々では、医療従事者以外の人が見ると「気がふれてるんじゃないか?」と思われるような早いテンポで動いていることが多い。
そのまま一日が終わり、そうすると「あの人に持って行けば終わる」とか「解決する」とかの理由でタスクが増えて行き、ますます走り回るようになる。そうして一年が過ぎて行く。
なので、こういうテンポで過ごす一日ですら、もしかしたら何十年ぶりかも知れない。
おこたで編み物をして過ごしていると、ぼさ~っとしていた高校時代のことを思い出す。
そうだった、そうだった。
剣道やってボコボコ叩いたり叩かれたり、でも、こういう手芸も大好きだった。
どちらをやっている時も人様に「らしくない」と言われていた。そうそう、人は自分が見たいようにしか見ないので。
でも、どんな私も私だった。
もう、帽子が仕上がりそう。
何で、編み物なんてしているんだろう。何だか、今年は面白い年だなあ。