オオタカが舞い降りた日に
数年前のある日、私とKちゃんは、とある方の葬儀へ向かっていた。
その人は、私が施設に入職した頃には既に10年以上も入居していて、ボス的な存在だった。脳梗塞を患ってから何十年も片麻痺だったが、着替えも食事も全部自分でやっていた。ただ一つ、トイレ以外は。
基本的に人に触られるのが嫌いなお婆ちゃんで、頼んでもない時に職員が触れようものなら、孫の手で殴りつけたり噛みついたりしていた。「自分で出来る!」と。
心不全を何度も起こしていたし、その肋骨や腰椎は、毎年数本づつ圧迫骨折していって、最後は2本しか残っていなかった。麻痺している側の身体は痺れるし、イライラしているというのもあったのだろう。いつも怒っていた。
痛いし、腹立つんだろうね。ほんとに、いつも怒っていた。でも、本当は優しい人だった。
初めて会った時は、男性職員のズボンに小さな穴が空いているのを見つけて、そこに指を突っ込んでビリビリ!と破っているところだった。
「ああっ!」と悲鳴をあげながら大柄な男性職員が逃げようとすると、車椅子に乗った小さな婆ちゃんが、アルコールスプレーを、あたかも殺虫剤のように彼に噴霧しまくっている。
凄い。
片手はズボンの穴を捉え、固定した上でアルコールをぶっかけるという攻撃。「このノロマめ!」と絶叫していた。多分、コールを押してからトイレの介助に来るのが遅かったんだろうなあ。
その様子を見て、「・・・。あの婆ちゃん、無理。」と思った。
しかし、何でか分からないけど、いつもそういう人に限って、しばらくすると非常に親しくなってしまうんだよなあ。
「ねえねえ、Ohzaちゃん、あたしが治ったら、一緒に焼き鳥食べに行こうよ。」
治ったら?
もう、どこも治らないのに・・・と内心思って、凄く切なくなってしまった。でも、「うん。」と答えると、しばらく沈黙して「カカカカー!ありがとう!」と歯のない大口をあけて豪快に笑っていた。
ごめんね。本当は分かってるよね。何もかも。
この方は、施設で最後を迎えることを希望されていたが、まだその頃はこの施設にお看取りのシステムが出来上がってなかった。配置医や人員の問題など色々なことをクリアしつつ、願いを叶えてあげたいと思っていたが。
ある日、私が休日の日に「病院へ行くことが善。良いこと。」と思い込んでいる年配の看護師に無理やり救急搬送されたという。
そのお婆ちゃんは、そのナースの手に嚙みついて「入院したくない!」と抵抗したそうだ。
身寄りがない人の意志や希望がここまで通じない世の中であってはならないはず。
その方は、病院で意気消沈して何も食べなくなり、亡くなってしまった。施設で最後を迎えたいと、あんなに日ごろから言っていたのに。
そのナースへのしばきのストーリーは横に置いておいて、葬儀場への案内状の地図をKちゃんと共に辿りつつ、少し道に迷った。と言っても、その駅だって、東京23区内。そんなに田舎な街ではない。
ええ、そう、田舎ではない。でも、やけに林が多いなあ・・・と思っていたら、頭上でバサバサ!という音がした。
見上げてみると、さほど高くない木の枝に大きな鳥が止まっている。その鳥と目が合った時、ギョッとした。トンビ?いや、鷹だ!Kちゃん!鷹が居る!
Kちゃんも自分のお婆ちゃんの田舎で育ったせいで知っていたのか、「ほんとだ!鷹だ!」と言う。
しかも、バサーっと舞い降りて来て、私たちの目の前の民家の門の上に留まった。凄い迫力。
門の上に留まった後も、私の目を見据えていたが、次の瞬間、片足で頭をバリバリ!と掻く動作を見せた。
それを見て、さらに「ああ!」と声が出てしまった。「Tさん!?」と、思わず叫んでしまった。
いつも身体中が痛いと言っていた。自由に動きたいと言っていた。そして、イライラする度に首を傾げて、バリバリ!と孫の手で頭を掻いていた。私の顔を睨みながら。
絶句している間に、鷹は一度確かに頷いて、飛び立って行った。大きな大きな羽根を広げ、そして、紛れもない鷹の声。高音の澄み切った声ではあったが、あの人の「カッカッカッー!」と言う笑いに、とてもよく似ていた。
涙が、ツーっと零れた。
自由になったんだね。
その後、私とKちゃんは、彼女の骨を拾うという作業をして、空へ登って行く煙も観たが。
何だか、もう悲しみ過ぎる必要はないような気がしていた。
遠くで、確かに鷹が鳴いていた。笑うように声を発して羽ばたいていた。
分かってる。そんなわけない。色んな事の辻褄が合わない。時間軸とか、ここが東京であることとか、その他、諸々。
でも、私たちは、その偶然(?)に紛れもなく心が救われ、怒りも悲しみも背負える程度に手放したのだった。
昨夜、夢の中で、彼女が空を飛びながら「もう痛くないよ!」と言う。「Ohzaちゃん!生肉、食べに行こうよ!カカカカーッ!」。
思わず冷静に夢の中で返答してしまった。「生はいい。焼き鳥の約束でしょ。」
今度、いつか、転生のタイミングがあったらね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?